院長コラム
一日があまりにも早く過ぎてしまい、いつもいろんな事で感動し、今毎日が楽しい。
開業して17年が経ち、目まぐるしい状況の中で気がついたら結構なおばさんになっていた。
誰もがそうだろうが、私も今まで生きてきて良い事も悪い(とその時感じた)事もたくさんあった。
泥の中に咲く蓮の花の様にいろんな事があったからこそ、今を楽しく感じることができるのかも知れない。
毎日暖かな晴天で雨や嵐を知ることがなければ、おそらく晴れの日の心地良さもわからないであろう。
コラムにずっと前から書こうと思いつつ、いつも機を逸していた事が一つあった。
それは、鍼灸の専門学校を辞めたことである。
「自分のハートの声」に従って熱望して昨春入学した鍼灸の専門学校であったが、10月に体調を壊して休学した後いろいろ考えた末に退学することにした。
退学を決めるまでは、正直言って勇気を要した。
「事を始める時」と「辞める時」のエネルギーにこんなに大きな差があることに、この時初めて気がついた。
17年前に交通事故に遭い、首から腰まで痛くない日がなかった私は今までいろいろな治療院へ通ったがなかなか改善しなかった。
そんな折、小中研(小動物中医学研究会)でご指導して頂いている山内先生や西依先生を見て、 「先生方みたいに、人も動物も鍼灸で楽にして差し上げることが出来たら、なんて素敵だろう~!!」と思い、一念発起して人の鍼灸の専門学校に行き始めたのである。
その為に子育て中で休職していた水出先生を遠方から招き、午前中は鍼灸の学校、午後からは診察の毎日であった。
学生生活と仕事は充実していたのだが、結局10月に三回目の突発性難聴になり・・・、それを機に学校を辞める事に決めた。
しかし・・・決めてからは実にすっきりした。
「捨てる事の楽さと大事さ」を知り・・・ついでに長い間引きずってきた事も捨ててしまった。
それは『ネバネバ星人』である。
子供のころから身体にずっと染み付いていた 「~しなくてはならない。(~ネバならない。)」と言うのを取っ払ってしまったのだ。
「いつも良い子にしていなければならない。一度始めたら最後までやり通さなければならない。親から愛される為には~せねばならない・・・云々。」である。
この『ネバネバ星人』を止めたら、心が自由になった。
そうするとまた見えて来るものがあった。
「自分が本当に今やりたい事」が明確になってきたのである。
勿論、その「自分のハートの声」を聴くのに「θフィーリング」に出逢った事もとてもラッキーだったと思う。(その扉を開いて下さったC病院のY医師と飼い主さまのOさんに、心から感謝している。)
そんな中・・・1月に氏家さんの告別式でインドへ一緒に行ったお仲間と久々に逢ったのだが、ある人から 「な~んだ、工藤さん。もっとけちょんけちょんで元気ないのを期待してたのに、めっちゃ元気じゃない!?(笑)」と言われた。
するとそこに居らした堀田先生が 「え~!?見て分からない!? 工藤さんは、一年前よりも一皮も二皮もめくれたよ~!!」とおっしゃった。
それを聞いて、上機嫌で愛知へ帰ってきた私がいた。(むふふ・・。)
ただ、我ながら反省した事が一つある。
堀田先生がその後で 「あれ~!? 『堀田先生!いつも診察でお疲れのご様子なので、私が鍼灸師になったら一番に堀田先生のお身体をお楽にさせて頂きますね!』って工藤さんが言ってくれたんで、僕は大いに期待してたんだよ~・・。残念だな~・・・。」とおっしゃった事である。
事もあろうに、“今、毎日が楽しい私”は、昨年そんな事を堀田先生に言った事まで忘れてしまっていた。
あ~あ・・・。またやらかしてしまった・・・。
でも、いろいろあって今があって・・・。
開業してから今が一番楽しいです。
周りの皆さまに感謝です!

3月中にリニューアルする当院のHPの会議
左から水出先生と看護士の柴田さん

3月1日の西依先生のセミナー行きの新幹線にて・・・。
もう何十回 東京・名古屋間を往復したか知れない。
だが、その度に富士山を拝んでしまう。
拝むと言うより「恋人に逢えて超嬉しい!!」と言う感じで毎回見とれてしまう。

1日の西依先生のセミナーの後は懇親会があったので、品川のホテルからパシャッ!!
「田舎もん!」と人から笑われるかも知れないが、夜の東京タワーもめっちゃ好きである。
2月9日に、東京で「鍼灸基礎・完全習得コース」のセミナーがあった。
西依先生の月一期間限定6回シリーズのセミナー3回目である。
この写真は、身体に肩こり等痛みがある受講生の一人が患者モデルになって、西依先生が鍼を打たれる前と後の脉(脈、みゃく)の変化をみんなで確認しているところである。
1時から6時まで、3回のトイレ休憩以外はずっとぶっ続けなので、講師も私達も疲れないと言ったら嘘になるのだが、みんなとても熱心でありそして実に面白くて楽しい!!
長い間小中研(小動物中医学研究会)のセミナーで、大事な事をたくさん学ばせて頂いたのだが、、その間ずっと毎日の仕事をこなさなくてはならない生活が続いていたので、素通りしてきたことがこんなにも多かったかと、今更ながら気づく事が多い。
そして去年の春から人の鍼灸の専門学校に通っていた事(何故か過去形・・!?)も良かったんだな~・・・とも思う。
短い間ではあったが、専門学校の授業を受けた事によって“点と線が繋がり易くなった”様に思うのである。
次回は3月1日・・・この日は次男の高校の卒業式である。
6回シリーズなので、休むわけにはいかない。
今思うと、この17年間私は仕事中心であり子供達には我慢ばかりさせて来たと思う。
3人とも文句一つ言わないでよくここまで育ってくれたものだと、子供達にも周りの方々にも感謝している。(文句を言わないのはある意味子供達も諦めていたところもあるとは思うのだが・・・。)
「卒業式に出れなくてごめんね・・・。」 と私。
「どうってことないよ~!まったく気にしとらんから大丈夫だってば!」 と次男。
有難いような、でも親としてはちょっと寂しいような・・・・。
何ともフクザツな気持ちである。
でもこうしてやりたい勉強をさせてもらえるという事は本当に有難い。
「まぁ~・・・。 ホンマに有難いこっちゃ!!」 (NHKの朝ドラのカーネーションの影響なのか、最近やたら河内弁になるわたくしでした(笑)。)
1月15日早朝 去年一緒にインドへ行ったM氏から、氏家さん訃報のメールが入った。
氏家さんは、「山」と言ういわきの瞑想場で瞑想法を指導しながら、癌などの難治性疾患の治療もしておられた。

氏家さんのご遺影
私は、10年前にある代替医療のセミナーで氏家さんと知り合い、その後瞑想を習う為にに「山」へ何度も足を運んだ。
行くと、決まって朝まで氏家さんとお酒を交わした。
毎回私はその時の課題?を一つ持って行くので、その度に氏家さんはお酒の席で 「工藤さん、それはね~・・・。こういう事だと思うよ!」と、教えて下さった。
それで一気に肩の力が抜けてまた愛知で頑張ることができた気がする。
氏家さんは様々なグルに逢いに60数回インドへ行かれたとのことだったが、元々持っておられた気質もあるのだろう・・・。
人を観る眼の鋭さと優しさは、人一倍長けておられたと思う。
氏家さんとは、実は5年ほどブランクがあったのだが、一昨年また交流が始まった。
だが・・・まさかこんな早くに亡くなってしまうとは、夢にも思わなかった。
人は一生のうちでどれだけの偉業を成し遂げたか・・・、どれだけの名声を得る事が出来たか・・・、あるいはどれだけお金を残したか・・・。どこにその価値を置くかは人それそれだと思う。
だが、こうして亡くなった後も、その方の優しさ、ほっとさせるような温かさ、ユーモアさ・・・目には見えないが、それこそ一番大切な遺産ではないかと私は思う。
氏家さんのご冥福とうちの病院のキキの冥福を心からお祈り致します。
※追記;キキは開業して一年目に、産まれてひと月くらいだったと思うが兄弟のココと一緒に当院にやってきた。
病院に来た時、ウィルス性疾患のせいで二頭とも上瞼(まぶた)と下瞼が目ヤニでくっついてしまっていたので治療をしていたのだが、飼い主さまの都合によりそのままうちの病院の子になった。実に16年もの間病院の子としてスタッフ達に育ててもらったのである。
24日の日、私は朝から風邪のせいか熱を出してしまった。
予約の患者さんが数頭いたので、熱による身体の痛みをこらえながら診察をしていた。着替えて帰ろうとして時計を見た時には11時近かった。
休憩室の隣りの入院室にキキは居たので、余裕のある時はちょっと覗いてキキの顔をさすってから帰るのだが、この日は遅いし疲れてるし熱もあるし・・・と言う事で、入院室の外から「キキ、もう帰るよ~!バイバイね~!」と、声だけ掛けて帰った。
キキはいつもの様に「にゃ~!!」と挨拶をしてくれた。
そして翌日、熱が下がらず更に余裕のなかった私は声すら掛けずに帰ってしまった。
その後家について30分程して、電話が鳴った。
出てみると看護師だった。
「先生! キキが死んでます!!」との事・・・。
「あ~・・・。こんな事だったら、疲れててもキキの顔をさすってあげれば良かった・・・。」と悔やまれた。
いつ亡くなったのかはっきりしないが、くしくも発見されたのは私の誕生日の30分前だった。
キキが亡くなったその夜に、以前うちで働いてくれていた看護師の人達からお悔やみメールが沢山届いた。
そう・・・・。
キキは自分を主張する訳でもなく、ただずっと病院の二階に居て・・・それだけなのだが、ココと共に私やうちのスタッフ達をいつも癒してくれていたのである。
「キキ、長い間ありがとうね~・・・。
天国でココと楽しく暮らしてね~!
ずっと私達の事、見守っててね!
本当にありがとうね~・・・・。」

キキをお世話してくれた元看護師のKさんが撮影したもの。
亡くなった次の日に持ってきてくれました。
その後はずっと私の机の上に居て私を見てくれてます。
1月12日に、東京で「鍼灸基礎・完全習得コース」のセミナーがあった。
講師は、我らが小動物中医学研究会(小中研)の応用編の講師を担当して下さっている西依先生である。
月一の計6回シリーズなので、5月に終了するまでは、講師も受講生もずっと同じである。
先月の一回めのセミナーの時に感じたのは、受講生の殆んどが鍼灸を通常の治療に取り入れている獣医師ばかりだったので、それだけ需要が多いと言うか、西洋医学だけでは限界を感じて治療の幅を広げる為に鍼灸をする獣医が増えたんだな~。という事と、椎間板ヘルニアを主とした椎間板疾患がいかに多いかと言う事であった。
一回めの時の西依先生は、いつも小中研で講師をして下さってる時とはうって変わって表情が堅かった。
だが、二回目ともなると「結構堂に入っているな~!」と言う感じだった。(西依先生、ごめんなさいね
!小中研のセミナーがあまりにも和気あいあいとしてるので、雰囲気が違いすぎてましたもんね。)
ただ、2回目のセミナーは、限られた6回のセミナーの中で色んな事を受講生に伝えたいと言う西依先生の思いがいっぱいあったせいか、五時間弱のセミナーは、超スピードであり、且つ内容ぎっしりであった![]()
セミナー中は誰もが真剣であり、終わって帰る頃はみんな結構ぐったりしていた様に思う。
だがしかし…中医学(東洋医学)は実に面白い!
勿論、今までの歴史の中で西洋医学(抗生物質等の化学薬品や精密な検査等)が発達したことによって、治らなかった病気の多くがかなり克服できているのも事実である。
ただ富士山に登るのにいろいろなコースがある様に、簡単に言ってしまうと、西洋医学と東洋医学では治療のアプローチの仕方が違うのである。
例えば同じ病気でもその患者さんの脉(脈・みゃく)や舌の色等を診る事により、一見同じように見える患者さんの病気でも鍼の打ち方が違うところが面白いと思う![]()
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去年まで小中研の講師でおられた山内先生が、「脉をよく診なさい。」と、何度もおっしゃっていた意味が、今となってはよく解る様な気がする。
さぁ、来月も気合入れて顔晴ろう~~!!
と、ここで終わるべきなのだが、実は今回とんだハプニングが起きた。
ハプニングと言うより、また私がやらかしてしまったと言った方が正しいだろう。
年末にあるホームページを開いて、感激した私がいた。
「すご~い!!西依先生のセミナーの前日に、ローレン先生のアニマルコミュニケーションの上級セミナーが東京であるんじゃん!」と。
「なんてツイテルんでしょう!!」
と、思ってすぐさまそこの事務局にセミナーの申し込みをして年末のうちに入金も済ませた。
10日の夜、仕事から帰って来て11日のホテルの予約を取り、夜中まで掛かって宿泊の準備をしていたところ・・・とんでもないことに気づいた。
「げっ!!11日のセミナーって、上級じゃなくて、もしかしたら去年私が受けた中級じゃない!?」と・・・。
それで、真夜中に事務局に急いでメールしたのだが、やはり後の祭りだった。
11日の朝、事務局の方から 「工藤さん、開始時間になってますがでどうされましたか?」と言う電話があったのだ。
私は勘違いを詫び、上級コースの日程を聞いたところ、12日だったので結局断ることになった。
全く、年明け早々トホホ・・・。と言う感じである。
まあ、「人生万事塞翁が馬」ではないが、ローレン先生のセミナーが受講できなかったのは残念だったが、12日の西依先生のセミナーはとても興味深いものだったし、その後別の形(θフィーリング)でアニマルコミュニケーションをすることになりそうなので、これもまた面白いものだと思った。
11月下旬に、瞑想の師であるU氏のお見舞いに行った。
前日の夜、仕事を終えてから新幹線に飛び乗って、東京に一泊して翌日病院に直行したのだが、田舎もんの私は、東京タワーのイルミネーションを見て感動して、写真を撮った。
翌日、短い間ではあったが、U氏と目で会話をして、別れた・・・。
ちょうど同じ時間にお見舞いにいらしていた獣医の鵜飼先生が、U氏が入院されている病院の近くにこの8月に開業されたとお聞きしたので、寄らせて頂くことになった。
2時間くらいの間だったが、とても有意義な話をお伺いできた。(2月のインド旅行の時も感じたのだが、U氏の周りには、普通の生活をしていたら、なかなかお逢いできない様な個性的且つ魅力的な方がたくさん集まる・・・。実に面白い現象である。)
いろいろな話の中で、鵜飼先生が 「いろんな情報が飛び交う中で、本当の事を知る為には、自分の軸をしっかりしなくてはならない。その為には冷水をかぶるとか、玄関周りの掃除をするとか、何か一つ決めた事を毎日実行すると良いですよ。」 とおっしゃった。
私は、比較的素直な性格だと思うので(自分で言うか・・・!?)、即実行した。
朝だろうが、夜だろうが、入浴の後で毎回洗面器二杯と四角いバケツ二杯の冷水をかぶるのである。
三日目に「ぎっくり腰」 になったので、三日間は休んだがそれ以外はずっと続けている。
「それによって、何が観えるのか・・・自分がどう変わるのか・・・・?!
良い治療ができて、他人の言動に惑わされない自分になれるのだろうか・・?!」
私は、もともと超越瞑想(TM)と言うものを大学時代からやっていたのだが、10年前に「意識波動医学研究会」のセミナーでたまたま講演されたU氏と出逢ったことにより、正しいオーリングテストと良い治療が出来る様にとU氏の元に通い始めたのであった。
だが、ここのところ忙しさに取り紛れて、じっくり瞑想をすることを忘れていた。
この水の行はずっとやっていけそうな気がする。
水をかぶった後の清々しさは何とも言えない。
心が、“しゃん”とする。
自分の心の軸をしっかりする(ぶれない自分を作る)為と、U氏が一番望まれる状態になられる事をお祈りしながら、毎日水をかぶっている。

少し前の話になるのだが、鍼灸の専門学校の中間テストが11月の予定だったので、10月初めに「漢方薬のセミナー」を博多まで受けに行った。
私に限ったことではないが、専門学校から帰ると毎晩遅くまで仕事をしていたので、「日曜日は勉強j時間の稼ぎ時!!」と言う感があった。
それで、実は10月中旬以降に大阪と東京で、まったく同じ内容のセミナーがある予定だったのだが、中間テストに備えてこの日に博多に行くことにしたのだった。
講師は、なんと、10年ほど前に堀田忠弘先生や私のオーリングテストの師である故宮崎雅敬先生らが立ち上げられた 「意識波動医学研究会」 でよくお逢いした獣医の橋本昌大先生だった。

セミナー中の橋本昌大先生

小動物中医学研究会のお仲間のS先生。
そして、偶然にも6~7年前から一緒に小中研(小動物中医学研究会;動物の鍼灸の勉強会)で鍼灸を学んできたS先生も出席なさっていた。
彼女のご主人が少し前に九州に転勤になり、大阪から引っ越されたばかりだったそうなのである。

講師の橋本先生とS先生
小中研で山内先生方に漢方薬も含めた中医学を教えて頂いていたので、今回のセミナーの内容は結構解り易かった。
ただ、中医学を学ぶまでの間、西洋医学・対症療法にどっぷり浸かっていたので、高齢で多臓器が悪くなった子には、どうしても薬が多くなってしまって、ずっと気になっていたのである。
勿論西洋医学を否定する気は毛頭ない。
だが、これを機にもっと漢方薬も増やしながら患者さんにとってなるべく負担の少ない治療をしていけたらと思う。
「ただでさえ病気で食欲がないのに、毎日薬漬けだったら、動物達は辛いだろうな~・・・。」と、朝食欲の出ない私は、自分のサプリメントを眺めながら思うことがよくある。
獣医も医者も、全くの健康体の人では良い仕事ができないのではないかと、ずっと以前から思っていたので、私にとって食欲がないという事は患者さんの立場を考えるのにいい機会だと思っている。
ここ数年立て続けに友人が亡くなったり、今も大切な人が闘病中だったりするので、私は「残った(限られた)自分の人生で、一体何ができるか・・・?!」と考えて焦ることがよくある。
一先ず、眼の前のことを一生懸命するしかないと思ってはいるが・・・。
「思い通りの人生って少ないかも知れないが、考えようによっては、人は思う通りにしか生きられないのだから・・・。」
※いつも読んで下さいまして、ありがとうございます!
ここ二ヶ月で私自身いろいろ変動がありました。
折を見て、またコラムに書かせて頂きますね。
皆さま、お風邪などひかれません様ご自愛くださいませ。

博多空港3Fのラーメン屋さん

こってり黒豚骨ラーメン 超美味しかった~!!
☆写真の補足
冒頭の写真は、博多空港に着いた時、搭乗口にいらした美人スタッフさんである。
私はお上りさんが如く(東京じゃないけど)、写真を撮ろうとしたが、「よく考えたら、私明らかに日本人なのに空港で写真を撮るなんて、変!って思われないかな~?!」 と思ったので、名刺をお渡しして、 「決して怪しい者ではありません!HPのコラムに載せたいので、お写真一枚撮らせて頂けないでしょうか?!」とお願いして撮らせて頂いたものである。
写真の通り、笑顔の素敵な美人さんだった。(なんと、ホテルで夜お世話になったアーユルベーダのマッサージの方も美人だった!)
博多美人って、ホントその通りだな~って感じ・・・。(あれぇ?! 愛知は日本の三大ブスだっけ~?!一体誰が決めたんだか・・・。まぁ、いいか。)
あれから随分時間が経っちゃったけど、このスタッフさん、このコラム、見て下さってるかな・・・~?!

荷物を取る場所に、常滑焼の招き猫達が、「お帰んなさ~い!」って感じで並んでいた。
9月10日・11日と、名駅近くのホテルで、半年に一回の 『師温会』 と言う人と動物(主に人)の鍼灸のセミナーがあった。

温雪楓先生(毎回セミナーの時、前の講師陣の机の上にご遺影が置かれている)
『師温会』 と言うのは、「今は亡き、温雪楓先生(15年前にご逝去。)という中医学(中国の鍼灸学)の権威の先生を偲んでその教えを若い鍼灸をする治療師に伝えて行きましょう。」 と言うことで14年前に教え子達によって立ち上げられたものである。
受講生は、多い順に 鍼灸師、獣医師、医師、看護士である。
講師陣は、温先生の教え子であり、現在鍼灸治療で活躍なさっている先生方(職種は様々)である。
今の学校に入った時、学校で使っている本を執筆なさった先生方が 『師温会』の講師のお一人だと知って、驚いてしまった。
その先生方の他に、中獣医学研究会の講師のお二人(山内先生と西依先生)も講師を務めている。

西依先生がモデルの受講生の脈を取っているところ
写真の通り、受講生が抱えている患者さんの中で、「講師の方々に診て頂きたい。」という時はその方にモデルになって頂くのだが、いらっしゃらない時は、生徒がモデルになる。
台の上に寝かせられ、講師陣や受講生全員に脈診、眼診、舌診などをされた後、講師に今の状態を説明して頂き、講師の指示の元、受講生(受講生の殆んどは鍼灸の免許を持っているので)が治療する。
治療しながら、脈、眼、舌がどのように変化して行くかをみんなで検証しながら進めて行くのである。

モデルの脈をみんなで取って検証しているところ
私は突発性難聴などで、過去に2~3回モデルになった。
モデルになると緊張するし、最近2~3キロ太ってしまったので、絶対モデルにならないつもりだったのだが、ある先生から「耳針だけだから、お腹も背中も出さなくても良いよ! 工藤さん、おいで!」と言われ、その言葉を信じてモデルになった。
だが・・・・やはり背中を出すように言われ・・・会長に「工藤さん、太ったね!?少し痩せなさい!」 と言われてしまった(ぐすん・・・・。)。
その後の体調ですか?!
勿論、絶好調です!!
お陰さまで、耳鳴りもなくなり、ずっと続いていた涙目(先生は、花粉症ではなく、内分泌など中から来るものだろうとおっしゃっていたのだが)も治り、身体も軽く、とてもすっきりした。
「やはり、鍼灸の治療は深いな~・・・。」
と、またまた実感した。
二日目のセミナーの後・・・「皆さんご苦労さまでした!また半年後にお逢いしましょう~!」 と、握手をしながら皆さまとお別れをした。
いつもの如く、今回も元氣を頂いて帰ってきた。

一日目セミナー後の懇親会
向かって右から山内先生、私のお姉さん的存在、先輩鍼灸師の吉川先生、関口先生、会長の国分先生
つい先日の事である。
午後の診察を終えてミーティングが終わった時、「じゃ~ん!!」 と言う感じでいきなり花束をスタッフ達から渡された。
その紙には 「いつもお仕事、勉強と頑張っているゆり子先生・・・中略・・・前期の授業お疲れ様でした。リリー動物病院スタッフ一同より」 と書かれていた。
年甲斐もなく・・・うるうるしてしまった。
「私、交通事故の後ずっと腰痛に悩まされてきたし、動物の鍼灸師だけじゃなくて、痛みのある飼い主さまにも針をうって、楽になって頂きたいの! だから鍼灸の専門学校に行きたいの。 みんな協力してね!!」
と我がままを言いだしたのが二年前。
6年前に出産で退職するまでうちで働いてくれていた水出先生に午前中だけ来てもらう様お願いして、ちょうど去年の今頃 AO入試を受けて今の鍼灸の専門学校に合格した。
そして4月から午前は鍼灸の専門学校の学生。午後は獣医、の二重生活が始まった。
授業はどれもとても楽しく、授業中寝るなんてモッタイナイ!って、心から思った。
東洋医学の授業なんかは、「そうか・・・。山内先生が言ってらした事はこういう事だったんだ~!」と、一コマ一コマがとても興味深かった。
仕事と掛け持ちの学生は多いのだろうが、私がいる午前中のクラスは圧倒的に仕事を持っている生徒は少なかった。
ルンルンの4月5月が終わり、6月の中間テスト週間に入った時、授業の後みんなで集まって勉強しているクラスメイト達の姿を見ると、焦りが出てきた。
朝早く起きて勉強しようと思うのだが、仕事が終わるのが遅い日の翌日は、やはり寝過ごしてしまう日が続いた。
そしてテストが近づくにつれ、仕事中まで落ち着かなくなっって来た・・・。
「みんな勉強しているのに、私はまだ何にもやってない。こんな事で良いんだろうか・・・?!」と。
その頃スタッフ達のミスが続いた。
それで午後の診察中、飼い主さまに頭を下げる場面が多くなった。
午前中私は学校に行っている訳だから、彼女らと共有する時間は短くなっている。なのにミスが連発する・・・。
「なぜなんだろう~・・・?!」 と自問自答した。
そして 私の思いがスタッフ達に伝染していたことに気づいた。
スタッフのミスで、「私の本分はここであり、私はここでの仕事をきちんとこなさない限り、鍼灸の専門学校もへったくれもないんだ~・・・!」と言うことに気づいた。
そう思ったら、腹が据わった感じがして、とてもすっきりした。
だが、すっきりしたのも束の間・・・。
何故か、7月下旬の期末試験になったら、試験勉強がとんと手につかなくなってしまった。
それは忙しいだけの問題ではない。上手く表現できないのだが、何か奥底に原因があって勉強できなくなってしまったのだと思う。(大体は想像つくのだが・・・。)
その事をどうしても解決したくて、先日θフィーリングのセッションを受けに行った。
そんな事情があり、8月に再試を二つ受けることになってしまった。
こんなワガママな私に黙って協力してくれたスタッフ達、応援して下さった飼い主さま達、ふるわない成績の私をいつも励まして下さった専門学校の先生、勉強を教えてくれたクラスのS君、そして弱音を吐いた私を叱咤激励してくれた友達、整体の先生、家族・・・・本当に感謝の気持ちでいっぱいである。
心が弱っている時こそ、有難さが身に染みた。
本当はこの花束は、私がもらうのではなく、その方々に贈りたい。
θフィーリングで自分がどう変わるのか分からないが(本来の自分が取り戻せるのか分からないが)、学校で習っている事を今の鍼灸の治療にも活かしながら、後二年半がんばって、鍼灸の免許を取りたいと思う。
「たかが専門学校のテストじゃない?!」と、他人は言うかも知れないが、今回の事で自分を見つめ直す良い機会となった。
そして、多くの方々に助けて頂いて今の自分があることを再認識した。
取りあえず、前期は終わりました。
※応援して下さった皆さま、スタッフのみんな・・・心からありがとうございましたm(_ _)m。
後期は更に顔晴りますね~(^^)!!
こんなことを書くと、コラムを読んで下さっている方をがっくりさせるかも知れないが、実は私は 「ずっと昔から獣医になりたかった!」 と言う訳ではない。
本当は、学校の先生になりたかったのである。
小学校一年生の時の担任の清水貞子先生に憧れ、「よ~っし!世間で出来の悪いって言われてる子もみ~んなひっくるめて可愛がる先生になるぞ~!!」 と高校2年まではずっと思っていた。(父はよくお酒の席で私のこの夢を馬鹿にしてきたが・・・。)
だが、いろいろな事情があり、獣医の大学に行き・・・そして今がある。
とは言え・・・やはり動物(特に犬)との切れないご縁はよく感じる。
そう、先日もこんなことがあった。
今春、鍼灸の専門学校に行ったのだが、8月のある日に行き詰ってしまったので、「θフィーリング」というものの個人セッション」を受けてみた。
以前から良いものらしいとは聞いていたが、よく分からなかったので、鍼灸治療で通院して下さっているあるワンちゃんの飼い主さまにお聞きしたところ、「知ってるよ!それならプロがいるから紹介してあげる!」 と言うことになり、即、受けたのである。
自分で言うのも何だが、「これ!!」と、思ったら、「東京でも福島でもインドでも行っちゃう!」 そういうフットワークの軽いところが私の良いところだと思っている。
θフィーリングの場所に着いて、先生と少しお話をした後、彼の誘導に沿って目を閉じて軽く瞑想?していくと、催眠術とはまた違うのかも知れないが、不思議なことに私の過去のいろいろな場面が浮かんできた。
物心つかないくらい幼い頃の両親との関係、娘時代・・・などなど。
ところが、摩訶不思議なことに、先生が今の私の仕事の事をおっしゃったわけでもないのに、途中で突然中一の時に私が可愛がっていた犬のお墓を掘るシーンが浮かんできたのである。
小学校3年生の時、家に紛れ込んでからずっと私が飼ってきて、中一の冬にフィラリアで死んでしまった「二代目チロ」である。
飼い始めた頃は、まだ小3ということもあり、チロに少し馬鹿にされてたところもあったが、高学年になった時には、いっぱしのご主人様?になっていたと思う。
その頃は、今の様にフィラリアの予防をするという習慣が殆んどなかった。
父が牛の獣医をしていた事もあり、当時牛の獣医を目指す獣医の学生さんが沢山泊まりに来ていた。
私が6年生になった時、チロの具合が悪い事をある学生さんに相談したら、「ゆりちゃん、手術で簡単に虫が取れるからそのうちやってあげるよ!」と言ってくれた。
その後何回かチロの手術をお願いしたのだが、とうとうしてもらえなかった。(大人って口では都合の良い事ばっかり言うんだな~・・・・。と子供心に思ったものである。)
亡くなるふた月くらい前からトマトケチャップ状のおしっこ(血色素尿)をし出し、ガリガリに痩せてきた。
フィラリア症の末期だった。
それでもいつもチロは部活が終わる私を待っていてくれて、一緒に散歩に行った。
子供心に、もうそう長くはないのではないかと思っていた。
そして、とうとうその日が来てしまった・・・。
部活から帰ると、母が「チロが死んだよ・・。」と言って、心配げに私の顔を覗きこんできた。
「そう・・・。」と一言だけ言って、チロの亡骸に逢いに行き、母と兄には 「どうって事ないわ! どうせ分かってたことだし。」みたいな顔をして、自分の部屋に入った途端、布団にうつ伏せになって、号泣した。
どれだけ泣き叫んだって、チロが帰って来ない事は分かっていたが、涙がどんどん溢れて止まらなかった・・・。
次の日の朝、部活前に早く起きて、チロのお墓を作った。
私の部屋から見える所にある松の木の下である。
一人でどんどん深く掘っていった。
「もうさよならなんだね~・・・。」と気持ちに区切りをつける為にも穴を掘ったのではないかと今になって思う。
θフィーリングで、なぜその場面が出て来たのか、よく分からない。
もしかしたら、最近大事な子を亡くした飼い主様たちの事が気になっていたからかも知れないし、何がしかチロからのメッセージだったのかも知れない。
この1月に受けた アニマルコミュニケーションの授業で、講師のローレン先生は、「動物は亡くなって数年したら、次の動物に生まれ変わるのよ。大体2年が多いのだけど、長くても10年くらいしたら、殆んどの動物が次世代の動物になっているわ。」とおっしゃていた。
チロが亡くなってから、もう軽く30年以上経っている。
一体これは何をか言わんや・・・???である。
面白いことに、その体験をしてからと言うもの、私がずっと飼ってきた犬達が連鎖反応の如く、頭をもたげる様になった。
「出逢いがあれば別れもある。必ずある。」
人と動物も、そして人と人とも・・・。

我が家のケン(11歳)
実にフレンドリーな性格である。MDがこんなに流行る前にうちの病院に連れてこられるMDを見て、これなら小さい我が子達と一緒に暮らしていけるだろうと思い、この犬を飼うことにした。
この1月にローレン先生のアニマルコミュニケーションを受けた時、「退屈で仕方がない。何か人の役に立つ事をしたい!」とケンが言っていたらしい。
私たちは動物達からいろいろな物をもらってこうして暮らしている。
似たような犬(猫、鳥、ウサギ、ハムスター・・・etc)は居ても同じ子は一匹もいない。
ご縁で巡り逢った今の動物を大切にしていきたいと思っている。
たった、一人では何もできないし、自分がどれだけ未熟であるかは自分が一番よく知っているつもりである。
今まで失敗をして、迷惑を掛けた場面も結構あると思う。
ただ、今の良き仲間達に助けられながら、私が元気で働ける間、これからもこの仕事を通じて、少しでも動物達と飼い主さま達のお役に立てるのであれば、本当に本望だな~と思う。

供血犬、ムサシ(6歳)
貧血の患者さんが出た時に、血を提供する為に我が家に6年前にやってきた。
飼い主さんは一応次男である。
シェパードがテレビで放映される警察犬のイメージとはうって変わって、とても落ち着きのない犬が多いという事を飼ってみて初めて知った。
好奇心旺盛でヤンチャな性格だからこそ、警察犬に向いているんだろう・・・。(ご近所の方々うるさくして申し訳ありません・・・!)
でも本当にカワイイ奴である。
遡ること、ひと月ほど前になるが、7月初めに東京で 『日本テレセラピー研究会』 が行われた。
『日本テレセラピー研究会』は、10年前にいわき市の氏家先生が、インドからテレセラピーの機械を日本の治療従事者用に輸入されて、同時に京都の堀田先生が研究会の会長に任命されて発足したものである。(テレセラピーとは、宝石光線療法のことであり、宝石のパワーを遠く離れた患者さんに送る遠隔治療のことである。)
当初は、人数もまばらで、いわきの氏家先生の 「山」 と言う 瞑想道場で20人前後で行われた。それが今や100人を軽く超える様になり、代替医療がそれだけ必要とされる場面が多いと言うことを認識した。 (勿論、西洋医学や化学薬品を否定するつもりは毛頭ないが・・・。)
講演者の殆んどが、インドへ行った仲間であり、氏家さんの知り合いの方ばかりであった。
そして、講演は堀田先生始め、どの方のものも素晴らしいものであった。

堀田先生

陰山先生
全部列挙すると、このコラムの仕上がりが更に遅くなるので、簡単にまとめると以下の通りであった。
- 堀田先生:
「東北での大震災の意味を考えてそこから学ぶものは何かという事を考えよう。」「人間は誰もがある目的を持って生まれて来た。それを達成する為に、宝石(パワーストーン)の力を借りない手はない。」との事。 - 松村先生:
鬱の治療をずっとしてこられたが、テレセラピーが鬱にもかなり、効果を発揮するという事が最近解ったとのこと。 - 植松先生:
アスリートなど、体の軸をまっすぐにしないで勝負に挑むので、無理が掛かってくる。まずは身体の軸をまっすぐにすることが肝要である。 - 鵜飼先生(獣医師):
多くのペットは、飼い主さまと太いパイプで繋がっているので飼い主さまの気持ちやストレスを全身で受け取ってしまうので病気が治り難いことがある。ペットの病気を治す為には飼い主さまに元氣になって頂くことが大事である。よって鵜飼先生は、テレセラピーを患者さんであるペットのみならず飼い主さまにも掛けるとのこと。(同じ理由で私もたまに飼い主さまに掛けさせて頂いくことがあります。) - 秋田先生:
護摩とは、簡単に説明すると、護摩の火を見つめることにより本来眠っている潜在意識を覚醒させる力を持つものである。また護摩の炎とマントラが遠く離れた人の間脳(悟りを開いたりする反面、煩悩とも関わる脳の場所)に届き、いろいろな病気を治すとのこと。(護摩は、テレセラピー(宝石光線療法)同様遠隔治療ができるのである。)
また護摩焚きは、西暦806年に空海が中国(唐)から医学、芸術、仏像と共に日本に持って帰ったと、聞いて少し?驚いた。
などなど・・・とても興味深い内容の講演ばかりであった。
その後、講演者の方々を囲んで懇親会があった。
先にも書いた通り、二月に氏家さんが企画されたインド旅行へ行ったメンバーの殆んどが懇親会にも出席したのだが、インドで同じ班として6日間行動を共にしたお仲間とも逢うことができて、とても嬉しかった。

写真3
この写真は、向かって左から加藤氏、私、右はこの日護摩焚きについて講演された秋田氏である。この日は残念ながらお見えにならなかったのだが、班長の三井氏の4人で5班として行動した。
3人の方からは学ぶ事が多く、ある意味私の考え方も大きく変わった。
今でも私のこころはコロコロと右に行ったり左に行ったりする時もあるが、この方々にお逢いできた事は私にとってとても有意義なものだったと思う。
そして次の再会を楽しみにしてお別れをした。
(写真4 “氏家組”ならぬ氏家さんのお仲間の方々。今思うと、本当に濃い方ばかりである。マジに最強のメンバーであった。 この写真からものすごく強いパワー、感じませんか(笑)!?)

写真4

