ペットの診察・治療・病気予防
フィラリア予防・去勢避妊・鍼灸

アクセスマップ・愛知県知多郡阿久比町

診療時間

犬・猫・ペットの治療と予防│リリー動物病院

院長コラム

14日の夜遅く…ぼぉっとテレビを眺めてたら、終戦記念日の前日と言う事もあって、戦争柄みのドラマが何本かやっていた。

翌日は戦争中に「満州王国を作る国策の為」に満州に渡って帰ってきた人達の辛い体験談が放映されていた。
私の父は、まだ親に甘えたい盛りの12歳の時に「満蒙開拓義勇軍」として満州に渡り、二年後に命からがら帰国した。
満州からみんなで引き揚げて来る途中、義勇軍の仲間や同行した日本人達がバタバタ死んでいく様を見ては涙し、そして手を合わせつつ彼らの亡骸(なきがら)の懐から食料を頂きながら、命を繋いで来たと言う。
そんな体験をした父は、「転んでもただでは起き上がらない!!」との思いで踏ん張りながら生きて来たが、心の傷を癒すこともなく家庭の温かさも知らずに父親になってしまったので、私達子供を可愛がる方法も分からず愛情表現の全く下手な父親であった。それに加えて幼い頃から「お父ちゃんはなぁ、大変な思いをして満州から引き揚げて来たんだ!貴様たちは地獄を見た事があるか!!」と酔う度に言われて来たので、子供ながらに「居心地の悪い家だ」と感じていた。「また満州の話か!!」と思って少し煩わしかったが、本当のところは父はそういう心の深い傷を家族に分かってもらいたかったたんだろうと、今になったら思う・・・。
23年前、私が長男のお産で里帰りした時、長男の泣き声に異常に反応する父を見て、「赤ん坊なんて泣くのが仕事なのに、何であんなにお父さんは『泣かせるな~!!』って怒るんだろうね~?!」と母に愚痴ったら、母がこう答えた。
「嫌なんじゃないの?!赤ちゃんの泣き声が・・・。お父さんは満州の時の事を思い出して、今でも寝てる時にうなされる事あんのよね…。」
そしてその数日後、父から聞かされた話に私は息を飲んだ。
「満州から集団で帰って来る時に、赤ん坊がいるとソ連兵に見つかって皆殺しに合うから、その中の親以外の誰かが、赤ん坊の首を絞めたり川に沈めたりしたんだ。」 とのこと・・・・。

戦争が終わって、69年。
そんな辛い体験をした父も、今は認知症になってしまい、当時の事は語ろうにも語れなくなってしまった。
そして父のみならず戦争体験者が高齢になって亡くなりつつある。

長い間 「忙しい、忙しい!!」って、世間知らずで仕事しかしてこなかった私だし、これからもやはり仕事中心で生きていくだろうけど、こうして戦争中のドラマに触れると、「本当に『集団的自衛権』とか言う訳ワカランものが行使されていいのだろうか・・・!?」と少し不安になってくる。
「もし、アメリカが戦争を始めたら・・・自衛隊の人達が参戦せざるを得なくなってくる。でももし、多くの自衛隊の方々が『参戦したくない!!』って言い出したら・・・今の若者が″召集令状” を受けて参戦しなくてはならなくなる。(自衛隊の方々だって戦争したくない!って思ってる人はきっといるはずだし。)・・・そうすると、またあの頃と同じ様な事が繰り返されるのだろうか・・・。
「仕事ばかりじゃなくて、今の若者や子供達を守る為に、本当は私達大人がそういう事考えていかなきゃならないんだよな・・・。」と、しみじみ思う終戦記念日であった。

新幹線50周年

先日のセミナーの前に、新幹線の中で購入したビール。
なんとぉ、「新幹線50周年」なんですって!!(私、新幹線が走ってた時まだ生まれてなかったわ~!・・・ほんまかいな~?!)

ケン

平和な日本になって、69年が経つけど、もし戦争が始まっちゃったら、戦争中にそうだった様に、ケンも外でウロウロしてたら、お腹空いた人にさらわれてしまうかも!?なんですね・・・。
だから絶対に戦争してはあかんのです。

2014年 8月 18日 掲載

暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしですか?!

私は先日(7月20日)、12年間続けてきた『テレセラピー研究会(宝石を使った遠隔治療)の総会』で、会長の堀田先生のご依頼を受けて、20分の枠でお話をさせて頂きました。
(スライド写真の通りです。)

水出先生から、「ゆり子先生!6月中旬は酪農学園大学のプレゼンテーション(勤務獣医求人の為に大学に行って学生さんを前に病院の宣伝をすること。)がありますけど、それが終わり次第、とにかく6月末までには、講演の下書きを仕上げて下さいね!じゃないと20日の講演に間に合いませんよ!」と、何度も言われてました。

ですが、日頃の診察と月に二回の鍼灸のセミナーの勉強に追われ(ダハッ・・・はっきり言って、これって言い訳)、気が付いたらもう7月10日も過ぎ・・・私の発表の内容が出来上がったのが、13日の夜でした。

しかもその内容を水出先生にメールすると更に時間が掛かってしまうので、13日の夜、当日話をするような形で電話で水出先生に語り・・・それをものすごい集中力で水出先生が頭に残して、予め彼女に送っておいた写真をほぼ1日で構成してパワポにまとめてくれました。
“ドラエモンに出てくるのび太”じゃないですが(ってことは、さし当たって水出先生はドラエモンってこと?!)、本当に私は水出先生を始めいつもみんなを巻き込んでしまい、一人では何もできない人間なのです・・・。(みんなに感謝です!)

ところで、このお話を堀田先生からお受けした時、「工藤先生、テレセラピーの体験談を是非話して下さい!その他はテーマは何でも良いですから・・。」という事だったのですが、直前になってお伺いしたら、「今回の総会のテーマは『自分の限界を超える』です。」とおっしゃるではないですか!!

「ひゃ~!!困った~!!」と思っても後の祭りでしたので、今回私は自分の歩んできた人生の恥の一部を皆様にお話させて頂きました。

  • テレセラピーを通して、私が学んだこと。…治療者として、“間違った思い込み”をしていたこと。
  • 10年前に瞑想を習いに氏家さんの所に行き、そこで氏家さんとの問答から、自分なりに考えたこと。・・・「より良い治療をするにはどうしたら良いのだろうか・・・。」
  • 私の「消しゴムがあったら消したいくらいの体験」
  • でも結局、その時に辛いと思った体験も、どれもが繋がっていて『起ることは必要必然である』と思ったこと。
  • バカボンのパパの様に、「これでいいのだ!」と笑って死にたい。・・・そうする為には、結局「今を生きる!」ことではないかって思う事。

ざっとこんな話をさせて頂きました。
少し恥ずかしかったのですが、私の恥の話を聞いて頂いて、少しでも元気になって下さる方がいらしたら嬉しいな~!!と思ってお話させて頂きました。(限界を超えるヒントになったかどうかは不明ですが・・。)

今日も暑いですね~・・・。さぁ、皆様、元気でいられること、自分を支えてくれる人達がいてくれる事、元気にしてくれる動物達がいてくれること・・・等にいっぱいいっぱい感謝して、今日も楽しく生きま笑~(^^)/

2014年 8月 01日 掲載

こんにちは!

今日は梅雨の合間の気持ちのいいお天気でしたね~・・・。

さてっ、私は今月半ばに、「新しい獣医師獲得」の為、北海道の酪農学園大学に行って参りました。
2月に行った時同様、学生さん達の前でプレゼンテーション(当院の宣伝)をして来たのですが、その後大学の就職担当の教授の方々と懇親会があり、とても面白い教授たちとお話が出来て感激しました。
「あ~・・・堅いと思ってた獣医の大学にこんなに頭の柔らかい方々がいらっしゃたんだ~!!」と思いました。
・・・ってことを今回のコラムに書こうと思ったんですが、「この間久々にパソコンを開いてトピックスを見てビックリ仰天!!」ってことで、今日は内容を変更してその事を書かせて頂きますね!

以下は先日の二人の飼い主さまと私との会話です。

  • Hさん;先生~、こないだ中日新聞に載ってたんだけど、外国で小さな子供が犬に襲われたところを猫がぴゅ~っと行って助けたんだってよ~!!
    知ってた~~!?
  • 私;え~~っ!? ホントですか?! 知りませんでした!見てないです!!

・・・の後、診察も終わり、次におみえになったUさんにこの事をお聞きしてみました。

  • 私;猫が犬に襲われた子供を助けたって話、知ってらっしゃいますか?!
  • Uさん;あ~! それYOU TUBE で見ましたよ!

・・・とおもむろにご自分の携帯でその画像を見せて下さいました。

その画像を見た時、鳥肌が立ちましたね!
今まで、犬が人を助けることはあっても猫が人を助けると言う話は聞いたことがありませんでしたので、本当に感動しました。
まだその画像が見れるかどうか分かりませんが、ご興味のある方はご覧くださいませ。

そして、驚いたことに、先日の日曜日(6月29日)、何気にパソコンを開いたら、飼い主さまを襲ったクマを撃退した日本犬のニュースが載ってました。
本当になんて勇気のある動物達でしょう・・・・!!
私だってもしかしたら(もしかせんでも(笑))、そのクマの迫力を見たら、助ける事はできないかも知れないのに・・・と思うと、この勇敢な犬にもとても感動しました。

そうやって考えたら、猫も犬もなく・・・動物たちはたとえこの猫ちゃんやワンちゃんたちの様にその場で果敢に戦えなくとも、基本的にはずっ~と昔から飼い主さまに寄り添って、そして飼い主さまを見守って生きてきてくれたんだろうな~って思いますね・・・・。

そんな記事を見ながら、実は私、ムサシの事を思い出していました。
去年の今頃でしたか・・・。 癌が体中に転移して足がふらつきだしたムサシを夜中に散歩していた時、ウォーキング中の小柄な女性と遭遇したんですね。
その女性は、遅い時間に暗がりの中で大型犬であるシェパードのムサシと私を発見するやいなや恐怖を感じたようで、離れていても彼女からその緊張感が伝わってきました。 そしてその女性の気配を感じたムサシは、それまでフラフラでしたのに、急に ”キリッ!!” としだして・・・・まるで「母さんに何かしてみろ!ただじゃおかないぞ!!」とでも言わんばかりに私との距離を縮めてかばう様に少し前に立ってその女性を睨んでいるのですね。
私は、今までもそうであった様に、私に危害がない限り、ムサシがその女性に対して何もしないだろうという認識はありましたが、やはり一応リードを短く握ってムサシを私の左足にぐっと近づけました。
自分の身体もままならないのに、飼い主である私を守ろうとしてくれたムサシの事を思い出す度に、「人間なんかと違って、なんてこの子たちはピュアなんだろう~・・。」と思います。

確かに長年いろいろなワンちゃん猫ちゃんを診せて頂いていて、一見猫の方がコズルイように思われがちですが、いえいえ~・・・したたかに飼い主さまをコントロールしようとするワンちゃんもいるにはいます(笑)。ですが、目先の食べ物欲しさにそんな場面があっても、純粋に彼ら(犬に拘わらず)は飼い主さまが大好きであり、損得勘定のない条件付きでない愛を人間に注いでくれるのを感じます。

私達人間も、この子たちのそういうところ、大いに見習いたいですね・・・・。
「いい成績取ったら、あなたを子供として認めてあげる!」 「お母さん(お父さん)の言う通りにしない子は、愛してあげない。」なんてこと思わずに、目の前の動物と共に目の前の子供さんのこともまるまる受け止めてあげてくださいね!
私達は一見彼ら(動物達)に愛情を注いであげて養ってあげてるようですが、実はとっても彼らに愛されていて、そしていろんな事を学ばせてもらっていると思います。
本当に感謝です。(また感謝か!!って言われそうですが・・・。(苦笑))

2014年 7月 02日 掲載

この仕事を通して、私はいろんな方々と知り合った。
今、ご縁のある方々は、どの形で知り合おうと、私にとって〝宝物”みたいなもので、他には代えがたい方々ばかりである。
そうやって考えると、「出逢う方に恵まれてる!」ということに改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。

これらの話はちょっと古い話(二~三ヶ月くらい前)になるのだが、嬉しくってずっとコラムに書きたかったのだけど、忙しくて書けなくて・・・でもやはりどうしても聞いて頂きたくて、この度書かせて頂くことにした。

そう・・・。

写真①

写真①
Fさんがチャッピーちゃん用にお作りになったミサンガ。とっても似合ってましたよ!

写真①これは当院に通院して下さっているFさんちのワンちゃん(チャッピーちゃん)の右後ろ足についていたミサンガである。
チャッピーちゃんは、4年前から腎臓と肝臓が悪くて、ひと月に一回、血液検査と治療に来てくれてる女の子のワンちゃんである。
去年の10月頃、来院されたFさんとのお話の中で、その少し前にあった「師温会」の話になった。(師温会というのは、医師、鍼灸師、獣医師など故温雪楓先生の教えを元に鍼灸治療をしている人達の勉強会である。)

Fさんとの話というは、「そう言えば、師温会に出席してみえたある先生がおっしゃってましたけど、五行の蔵(臓器)に合う色の物を身に着けると、それだけで悪くなってる臓器が改善するらしいんですよね!その方は心臓がお悪いので、赤い紐を右手首に着けてみえたんですよね!」なんて感じの内容だったと思う。

そうしたら、まぁ・・・!!
次の診察の時には、見事にチャッピーちゃんの右後ろ足に「黒と青の手作りのミサンガ」が巻かれてるではないか・・・!!(五行色体表で言うと、黒は腎臓の色、青は肝臓の色なので・・・。)
「いいと思う事は何でも直ぐやろう~!」と言うこの方の行動力に思わず脱帽してしまった!

写真②

写真②
Fさんが私用に作って下さったミサンガ。今も大切に右の足首につけさせて頂いています。
ありがとうございました。

それから数か月してFさんが来院された時、「先生!これどうぞ~!」と私に下さったのが、写真②のミサンガである。
たまたまその前の診察の時に、「私は一般の血液検査では一応正常値なんですけど、こないだ受けた人間ドッグの詳しい検査では、腎臓の値が正常値の上限ギリギリだったんですよね・・・。肝も弱いからチャッピーちゃんと一緒ですね!」 なんて何気にわたくし事の雑談をしてたんだけど、それをお聞きになったFさんが手作りのミサンガを作って来て下さったのである。
この方はただでさえ自営業でお忙しいのに、「まぁ~・・・!なんて有り難いことなんでしょう・・・!!」と感謝感激してしまった。

写真③

写真③
元看護士の由起さんがムサシの為とくれた花束。由起さん、ありがとう~!!
ムサシの抗癌剤治療では、由起さんのみならず スタッフみんなにお世話になりました!
ホントありがとうね~!

写真③は、勤続14年の元看護師の由起さんが、「加藤先生が出産退職される前に加藤先生や皆さんと逢いたいです。」と、先日一歳半の娘さんを連れて病院に遊びに来てくれたのだが、その時彼女がムサシにとくれた花束である。
退職して二年近く経つが、いつも病院のことを気に掛けてくれてて・・・・本当に有り難い!!
因みに・・・生前、闘病中のムサシの為にと長野の神社に行かれたFさんがお守りを下さったり、ムサシが死んだ事をお知りになられた二人の飼い主さまが、お花を持ってきて下さったり、うちのスタッフ達がムサシの写真集をこっそり作ってくれてたり・・・笑われるかも知れないが、そういう時って結構涙腺が緩んでしまって、仕事中堪えていた涙が迂闊にも・・・こぼれてしまうのであった。)

写真④

写真④
国分先生が下さった色紙(お言葉) もう、有り難くってもったいなくって…。
因みに色紙の下に敷いてある縞模様の袋は、Oさんがわざわざ色紙用にとご用意して下さった袋です。
こういう何気ないお心遣い、私もできたら素敵だなぁ~!と思います。

④の色紙は温先生の愛弟子のお一人、大阪の国分先生が書いて下さったものである。
私は、診察中に飼い主さまご自身がご病気で困ってらっしゃるのを見ると、ついお節介を焼きたくなる性分で、「大阪にお一人(国分先生)、東京にはお二人(山内先生と西依先生)、スゴ腕の鍼灸の先生がいらっしゃいますよ!」と、ご紹介するのである。
私が針を打って差し上げられなくとも、その先生方の治療でその方が良くなられたらめっちゃ嬉しいし、そういう「橋渡し」が出来たら本望だと思うからである。
それで、二年前にある飼い主さま(Oさん)に大阪(堺市)の国分先生をご紹介したのであった。

話は変わるが、いつだったか鍼灸学院で月に二回授業をして下さっている西依先生に、私の腰痛の治療をして頂いた時、診察室の奥に国分先生の色紙があることに気付いた。
実は西依先生の所には、かの有名なグループEX〇LEのボーカルの一人が治療に行ったようで、その方のサインが飾ってあったのだが、私からするとそのサインよりも国分先生の色紙の方がうんと羨ましくて、前回の師温会の後の懇親会で、 「国分先生~!私にもお言葉(色紙)下さ~い!」なんて酔った勢いで、ちょっと軽い乗りで・・・でも、実は真剣に(笑)、お願いしたのであった。

先生は恐らく忘れておみえだろうと思っていたのだが、先日、その飼い主さまがワンちゃんを連れて来られて、「この間、国分先生の所に治療に行った時に、この色紙を託りましたよ。」と私に下さったのである。

それを見た瞬間、「わぁ~!!うそぉ・・・・、きゃ~っ!!マジですか~!?」 なんてホント、筆舌に尽くし難いくらい嬉しかった。
直ぐお礼のメールをお送りしたのだが、「わたくし如きにこのような立派なお言葉をありがとうございました!」と、お伝えしたところ、「これは温先生がいつもおっしゃっていたお言葉です。わたくし如きの色紙をそうやって喜んで頂けて私の方こそ有り難いです!」と返され・・・やはり昔の人はよく言ったもので、「実るほど頭の垂れる稲穂かな・・・。だなぁ・・・。」としみじみ思ってしまった。(国分先生は、セミナーでは実にフランクにお付き合い下さるのだが、鍼灸の古書を原文のままお読みになられるし、その知識と腕は私なんぞ足元にも及ばないくらい実はすごい先生ナノデアリマス!)

国分先生へのご恩返しは、私自身もっと東洋医学を勉強して、いい治療をさせて頂いて動物たちと飼い主さまに還元することなんじゃないかと思う。
皆さま~・・・・本当にありがとうございました~(^^)m(_ _)m!!

☆あとがき・・・・
私が何気に開いても、「いや~・・・。コラム長いなぁ~・・・。うんざりされるかもだな~。」と思います。
そんな長文且つ稚拙なコラムにいつもお付き合い下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m。

「よもやま話」の構想も「コラム」の構想もいつもたくさん浮かぶのですが、日頃の多忙さと本来のドンくささが相まって仕事優先の生活になってしまい、いつもこんな形になってしまいます。(反省・・・!!)
有り難いことに、私を取り巻く方々は本当に心根の優しい方ばかりです。
でも、たまにそうでもない場面に遭遇することもあったりして・・・最近特に、「どうやったら、ぶれない自分でいられるのか。」ということを考えます。
「いかにしたら、良い精神状態で且つ良い体調でいられるか。そしていかにしたら、自分を客観視することができるのか・・・。」
自分が良い状態でないと良い仕事もできないし、良い家庭も作れないと思うのですね。
なので、毎日シータヒーリングで自分のブロックを外してクリアリングしたり(潜在意識の中の思い違いを正したり)、仕事の前に「瞑想」したりしています。

テレビをつければ、連日眉間にシワが寄るようなニュースばかりですが、来院して下さる動物たちも飼い主さま達も、外にいる野良猫や野鳥たちも・・・内戦しているイラクの人たちも、朝鮮に子供を拉致された方々も、日本が慰安婦として酷いことをしてきたのなら、その被害者の方々も・・・・みんなみんな幸せになれる世の中になったらいいのになぁ・・・と切に願います。
その為にもまずは自分かな~・・・とも思います。  

・・・・あ~!! また長くなっちゃった!! ごめんしてくださいまし・・・(^^;)!
では皆さま 梅雨でちょっとじめついてる時期ですが・・・・明るい色の傘でもさして、気持ちも明かるく行きま笑~~! 
今日もありがとうございました(^^)m(_ _)m。

アジサイ

三年くらい前に息子達にもらったアジサイ。
花が終わる度に枝を剪定するのだけど、どんどん花が小さくなっていきます。
どなたかいい剪定法をご存じでしたら、教えて下さいね!

2014年 6月 13日 掲載

日曜日は月二で鍼灸の勉強会に行くので、それ以外は息子の部活の試合の応援か、でなければ家でぼ~っと過ごすのが常でした。
ですが先日、鑑定士(占い師)の仕事をしている友達の勧めもあって、〝アニマルコミュニケ—ター(人と動物の会話の通訳者)” として、名古屋の「美・癒しフェスタ」という催し物に出てみました!(占いの先生などと一緒に私も動物と会話をしたいという方を相手に会話をさせて頂きました。)

「初めて出展するんだったら、サクラのお客さんとして友達に来てもらった方がいいよ!」と聞いてはいたのですが、「みんな忙しいだろうから悪いもんなぁ~・・・。」と思って誘わないでいたら、「あらま~・・・!! 本当に暇なことったらありゃしない!!」 暇って本当に疲れるんですよね・・・。 トホホ・・・。

というわけで、その友達(万理凛さん http://ameblo.jp/mariling/) にフラワーレメディを調合してもらったり、私の真ん前のテーブルで出展していた手相の先生(斎藤郷琉さん http://ameblo.jp/shahr/)に手相を観て頂いたりして時間を潰してました。 
そうこうするうちに、随分前から 「すごく気になるオバサン」が居たので、帰る前にお声を掛けさせて頂きました。
「あなたは何をする人ですか!?」と私。「え~!?私は何でもしますよ~!お客さまは何がしたいですか!?」とのことだったので、専門はカウンセラーなのだそうですが、タロットをやって頂きました。
すると不思議な事に、そのオバサン鑑定士さん(愛奈々さん http://ameblo.jp/uss1701/)のタロットで、先に観て頂いた手相の斎藤先生と同じ事を言われ・・・本当に面白いものだと思いましたね~・・・。富士山をあっちのコースから登るのとこっちのコースから登るのとの違いでしょうか・・・。

結局アニマルコミュニケーターとしての仕事は少ししかしませんでしたが、お二人に沢山の元気を頂いて帰って来ました(^^)V。(オバサン鑑定士の愛奈々さ~ん、最後にうるうる来てしまいました。本当にありがとうございました(^^)!・・・でも、奈々さんの目もうるうるしてたのを見逃してませんでしたよ!)

私達が今やっている鍼灸の師匠・故温雪楓先生の愛弟子国分先生が 「患者さんが診察室を出られる時に笑顔になれる。そういう治療をしなさい!と、いつも温先生がおっしゃってましたよ。」 と、先日も言ってらっしゃいました。
そう! なので私も温先生のお言葉の様に、そして奈々さんのように、飼い主さまに 「あ~・・・。 この病院に来たら、この子も元気になれるし、私も元気になれるわ~~!!」なんて言って頂けるような治療ができたらと、心から思いましたね~。 

今朝、息子を駅まで送ってった時にたまたま掛かっていた曲が、スーパーフライの 「愛と感謝」でした。
「どんな時でも心に笑顔咲かせたい。・・・中略。 今日も~、明日も~愛と感謝に生きよう! 大切なものは忘れがちだけれど・・・。 愛しい人(動物さんも)よ、最高の笑顔をありがと~。大地を踏みしめて~共に歩こう~♪」
・・・・毎日が有り難くって、感謝・感謝の日々です(^^)!

「美・癒しフェスタ」のチラシ

先日の「美・癒しフェスタ」のチラシ。
友達に配るようにと言われて、沢山もらってはあったんだけど・・・。

オバサン??鑑定士・愛奈々さんと

オバサン??鑑定士・愛奈々さんと。
なんか、一緒に写ると私がきゃしゃに見えて、とっても嬉しい!!
え~?!コメントはそれですか~??ってか(笑)?!

家の近くの木

家の近くの木
緑って本当に力があると思う。
この時期は特に新緑のみなぎる力を感じます。

2014年 4月 23日 掲載

今日4月8日は、お釈迦さまのお誕生日でした。
そして、愛知県知多郡の理奈子ちゃんという女の子の命日でもありました。
私は、理奈子ちゃんに逢ったことはありません。
たまたま5年前に理奈子ちゃんのお母さんが通ってらっしゃった接骨院の先生に頼まれて、理奈子ちゃんの治療を「京都の堀田忠弘先生」にお願いしたのがご縁の始まりでした。

事の発端はこうでした。
私は当時、有志の「人の接骨医さんと鍼灸師さんの勉強会」に所属していました。
その勉強会の中の接骨医の先生から、5年まえのある日電話がありました。
「工藤先生、先生は堀田先生と仲が良いんですよね!? うちの患者さんの娘さんで小学4年生の女の子がいるんですけど、その子が先日「腎臓癌」と診断されたようなんです。工藤先生から堀田先生にその娘さんの治療をして頂けるようにお願いしてもらえないでしょうか!」とのこと。
それで、大体の話を接骨医の先生からお聞きした後、堀田先生に直ぐメールしました。
ちなみに堀田先生は「癌などの難治性の病気」に日々尽力なさっている有名な内科医であり、多くの患者さんが堀田先生を頼って遠方から治療してもらいに来ています。
西洋医学を長年やってこられて限界をお感じになって、東洋医学や遠隔治療(テレセラピー)等の統合医療もされてらっしゃる医師であり、10年以上前から代替医療のセミナー等で講演もしてらっしゃって、正直言って私からすると「雲の上の人的な存在」でした。
ですが、たまたま堀田先生のご友人が私の瞑想の師匠(氏家五十六氏)ということもあり、親しくして頂いておりました。

メールでその娘さん(理奈子ちゃん)のことを堀田先生にお伝えしたところ、快諾して頂けましたので、理奈子ちゃんは堀田先生に直ぐ治療して頂けることになりました。
ですが、小学4年生の幼い体に出来た癌の勢いは非常に強く・・・結局理奈子ちゃんは京都の「堀田医院」に一日として治療に通うことができないまま、理奈子ちゃんのお母さんと堀田先生とで、メールで連絡を取りながら遠隔治療(堀田先生のテレセラピー及び九州の気功の先生の遠隔治療)も含めて治療していくという特例の形を取りながらの治療が始まりました。
そして4年前の今日、とうとう「理奈子ちゃんの命の灯」は消えてしまったのでした。

その後、理奈子ちゃんのお母さんは「理奈子ちゃんと共に病気と闘った体験」から、「今こうして当たり前の様に生かされていることの有難さを多くの方に知っていただくことが、理奈子ちゃんの遺志でありご自身の使命なのではないか。」とお考えになって、この「手記」を書かれました。
私は理奈子ちゃんが亡くなった事を接骨医の先生からお聞きしました。 その数日後に初めて理奈子ちゃんのお母さんに逢い、理奈子ちゃんのお写真を頂いた次第です。

そして私は、大切な方やお世話になった方にこの「手記」をお渡ししています。

もし、ご自分の存在を「なくてもいいもの」と思ってらっしゃる方がおみえでしたら、是非この「手記」を読んで頂けたらと思います。
かくいう私も、「こうして生かされている事に感謝することもなく、生きる目的もなく、ただただ物を食べては排泄するだけで、私はなんて下らない人間なんだろう〜・・・。」と、長い間ずっと自分の存在を否定し続けて来ました。

理奈子ちゃんとこの手記を書いて下さった理奈子ちゃんのお母さん(磯部さん)に感謝します。
また理奈子ちゃんや磯部さんと逢わせて下さった接骨医の先生、堀田先生にも感謝します。
そして、こうして理奈子ちゃんの手記を公開することにご承諾下さった理奈子ちゃんのお母さん(磯部さん)と、この手記を読んで下さっている皆様にも感謝します。
理奈子ちゃんと磯部さんの思いが少しでも皆様に伝わって、一人一人が「今の自分の幸せ」に気づいて頂けたら本望です。

最後に・・・
写真①は手記を読ませて頂いた後で、初めて理奈子ちゃんのお写真をお母さんが持って来て下さった時のものです。それ以来ずっと病院の棚から私たちを見守ってくれています。
写真②と③は、理奈子ちゃんがこよなく愛したミルクちゃん(母犬)とプリンちゃん(娘犬)です。
彼女らは、理奈子ちゃんの闘病生活も美奈子ちゃんとご家族の踏ん張りも・・・そしてご家族の方々の深い悲しみも、ずっと見てきました。どんなこともみんな受け入れて、黙ってそ〜っと応援してくれていたことと思います。

※理奈子ちゃんのお母さんによる「手記」のPDFファイルへのリンクを写真の下へ掲載しています。
 ご一読いただければ幸いです。

写真①

写真①

写真②

写真②

写真③

写真③

手記

» 表紙【お心ある皆様へ】  » 本文【理奈子と共に 歩んだ11年間】

*題名をクリックするとPDFファイルが開きます*

2014年 4月 09日 掲載

この10月で開業して20年になる。

今は珍しいが、開業当初は結構外へ自由に出入りしている猫ちゃんが多かった。
雄猫は圧倒的に縄張り争いや彼女の奪い合いでケンカの傷が絶えなかった。
たとえ自分は戦う気はなくとも、「売られたケンカは買わねばならぬ!」的な勢いで、果敢に立ち向かう猫が多かった。
だから、そういう猫は圧倒的に顔や腕にケガを負ったものである。
ただ、やはり猫にもいろいろいて・・・・己の弱さをちゃんと自覚している猫は、瞬時に逃げる!!・・・が、逃げ切れないどんくっさい猫は逃げ遅れて、毎回尾に傷を負ったものである。(なんか治療してても憎めないんだよね~・・・。そういう猫って。)

今は飼い主さまもいろいろ勉強してらっしゃるので、ケンカによる咬傷や伝染病にかかる事を考えると、‟猫の気持ちを尊重して外に出すことのデメリットの方が大きい”と判断する方が増えたように思う。
なので開業当初と比較したら自由に外に出かけられる猫が極端に減ったのは事実である。(まぁ・・・猫の気持ちを取るか、はたまた猫の健康を取るか・・・?!の選択だと思うのだが。)

だが、開業当初は殆どの猫が自由に外に出ていたので、「去勢手術」をする朝になると、決まって行方不明?(家出?)になる猫が多かった。
そう!! 決してあなどってはいけません!! 
彼らは飼い主さま達の話を聞いているからなのか、はたまた直感からなのか「自分は今日、去勢される!」ということを知っているのです! 
なので手術の朝、「先生、病院に連れてこうとしたら、どこ探してもいないんだよね~・・・。」というお電話を頂く度に「あ~・・・。また猫の直感ってやつだな~・・・!」とよく思ったものである。

だが、犬はもうずっと前から家から自由に出ることができないので逃げるわけにもいかず、病院に着いてから「ヤバッ!!やっぱなぁ~・・・・。」と思うらしい。 なので、この間のペコちゃんも病院に着いた途端、急にいつもと違う顔つきになり・・・自分の意に反して去勢手術を受けざるを得ないハメになったのである。
獣医として彼らを見ていてとても辛い・・・。

増して東洋医学的観点からすると、女の子の避妊手術もそうなのだが、「もともとあるものを取るってどうなのよぉ~!?」ということになる。
現に今鍼灸治療の中でも、「数年前に去勢手術をしてから若いのにおしっこが漏れる。」というオスのワンちゃんや、「子宮を取ってから調子が悪くなった・・・。」等の理由で通って頂いている子たちもいる。
ただ・・・若い頃、去勢をするかしないかで迷ってそのまま歳を取り・・・ある日気がついたら前立腺肥大が原因で血尿になってしまったオスのワンちゃんの飼い主さん達は、決まって判で押したように「あ~・・。やっぱりあん時去勢手術を受けさせれば良かった~・・・・。」とおっしゃる姿も沢山見てきているので、何とも言い難い・・・・。
男の子が前立腺肥大になるのも、女の子が子宮蓄膿症になるのもおそらく運不運なんだろうが、一体全体なにが良くて何が悪いんだか・・・。
でも、一先ず・・・・同じ目に遭ったことはないが、去勢手術や避妊手術の子達には、手術が終わった後で、「本当にご苦労さま。よく頑張ったね!!」と、声を掛けずにはいられない・・・。

ペコちゃん

2014年 3月 26日 掲載

こんにちは! 
全国的な大雪の後、一気に暖かくなってきましたが、その後皆様お元気で過ごしですか!?
ニュースで連日農家さんの大雪の被害を見る度に胸が痛くなります。
TPPだの何だのって、ただでさえ日本の農家さんが大変になりつつあるのに今回はそれに追い打ちをかける様に天災ですもんね・・・。
それなりの対応策はされるんでしょうが、今回の事のみならず北朝鮮の拉致問題にしろ3年前の東北大震災の件にしろ、「オイ! もっと今の日本を真剣に考える政治家はいないのか(怒)!?」って、言いたくなりますね・・・。

さて、わたくし事ですが、実は先日 “勤務獣医獲得の為” 二つの獣医大学に宣伝(プレゼンテーション)をしに行ってきました!
有志12病院でひとグループになり、一日目(20日)は、神奈川県の麻布大学に、そして二日目(21日)は、北海道江別市の酪農学園大学(水出先生の母校です。)に行きました。

いつも診察室では、飼い主さまと向き合ってマンツーマンでお話するのですが、沢山の人を前にして喋るだなんて・・・数人相手の院内セミナーか結婚式のスピーチくらいしか経験はありませんし、増してパワーポイント”(いわゆる人前で発表する時のスライドみたいなものです)すら操作したこともなかったんですよね・・・。
なのでこの話が決まった時、水出先生が、「ゆり子先生、パワポ動かせますか~!? どうしよう・・・。何だったら私ついてきましょうか!? でなかったら誰か看護師つけますか?!」って真剣に心配してくれました。(苦笑)   
まぁ、この件に関しては何とかなったのですが、最初から最後までとにかくスタッフ達に協力してもらって、何とか無事に終わり、こうしてコラムを書けるところまで漕ぎつけました(ほ~っ・・・。)

「ゆり子先生、学生さん達に配る資料は私が作りますから、お忙しいでしょうが何とか4日前までに当日の原稿を考えといて下さいね!それに合わせてパワポを作りますから!」と水出先生に言われ・・・結局、セミナーや連日の仕事で、水出先生に指定された日には間に合わず・・・前々日になったら 「ゆり子先生、何なら私が原稿を作りましょうか?!診察が終わるのが遅いようでしたら、作りますので遠慮なく言って下さいね!」とまで言ってもらい・・・・なのに、この私と来たら、結局 「水出先生、ごめん!先生に作ってもらってそのまま喋ったら、基本的にハズレはないしめっちゃ楽だろうけど、それじゃあ私の心が入らんのよね~・・・。やっぱ自分で作るわ・・・・。ごめんだけど、それに合わせてパワポを作ってくれる!?」と言う事になり・・・水出先生は二つ返事で「解りました!」と言ってくれました。(きゃ~!男前~!!)
でも水出先生はおそらく私のせいで病院でも家でも診察以外は今回のプレゼンテーションの準備に掛りっきりになったと思います。(先生!本当にありがとね~~(涙)!)

さて・・・結果は~・・・???
学生さん達が春休みと言う事もあり、思った程人は集まりませんでしたが、大きい病院の院長さん達が多い中で、私なりに自分の病院の宣伝をさせて頂きました。
プレゼンテーションが終わった後は、一病院に一席ずつブースを設けて下さり、興味を持たれた学生さん達がその席に来られて各病院に質問をされるのですが、愛知県出身の学生さんも結構いらして質問をして下さったので、いろんなお話をさせて頂きました。
ひとまず今後どんな流れになるか分かりませんが、当院の「基本理念」(今、目の前の患者さんと飼い主さまに一番良いと思われる治療をさせて頂こう!そしてそれを通して患者さんと飼い主さまが健康で幸せになるお手伝いをさせて頂こう!)に共鳴して私たちと同じ方向を向いて一緒に協力して下さる人が来ることを祈りつつ、22日の早朝愛知に帰って来ました。

翌日(23日)は、吉祥寺でいつもの学院の鍼灸の授業があったのですが、その後仲のいい友達とお茶した時、「生きてりゃあいろいろあるけどさぁ~・・・。本当に人の有難さって言うか、皆さんのお陰で今の自分があるってことしみじみ感じるよね・・・。」 と意気投合しました。 

私自身、自分なりに目の前のことを一生懸命やってきたつもりでしたが、仕事以外で今まで色んな事に巻き込まれ・・・「なんでこうなっちゃうの・・・?!」と、嘆いた事が何度かありました。でもその度に勇気やアドバイスを与えて下さった方々がいらして・・・・本当に人とのご縁に恵まれていると思います。
そのご縁を大切にしながら、その方々にお返しできない時は他の方々にお返しをしながら、感謝しつつ生きていきたいと思います。

ホント、全てに感謝です!!

あれ~?!
北海道の話でしたっけ~~?!
何はともあれ、北海道は寒かったです(^^)。 
ぽてちんおしまい。

プレゼンの練習

        プレゼンの練習

彼女が当院に来てかれこれ4年になる。最初は少し舌っ足らずで頼りなさげだったのたが、最近はすごく成長したのを感じる!この日も診察の後、「先生!10回以上は練習してもらいますからね!」と言って、遅くまでマンツーマンでプレゼンの練習に付き合ってくれた。
その言葉を聞いた時、「実に頼もしくなったなぁ~!」と思わずほくそ笑んでしまった。
練習してる間、他の看護師達は学生に渡す資料をコピーしてまとめていてくれた。
一日目の学校の近くの駅

      一日目の学校の近くの駅

「ここは北海道ですか!?」って目を疑いたくなるくらいの根雪。
そう!ここはまだ神奈川の矢部駅です。カバンの中には学生さん達に配る資料がたんと入ってます。
一日目のプレゼンテーション風景

    一日目のプレゼンテーション風景

過去に何度かプレゼンをしてる獣医さんが、「あ~、緊張してきた!やっぱ来なきゃ良かった!」って何度も言ってるのを横目で見ながら、私は緊張の「き」の字もなく全く余裕だった。
ところが、いざ壇上に立って話し始めたら、手がプルプルしてきたのだ。この写真もかなり顔が強ばってるよね~(苦笑)
二日目にプレゼンテーションをした大学

   二日目にプレゼンテーションをした大学

「最近の獣医の学生達は条件ばっかり言ってきて…。」的な事をよく同業者から耳にする。
でも私のブースに質問しに来てくれた学生さん達はみんな眼がキラキラ☆してた。
若いってホント夢があっていいよね~!(だからこそ私達はその夢を壊さないようにしなくちゃね!)
お土産を買いに外へゴー!!

      お土産を買いに外へゴー!!

あ~、やっと終わったぁ~!!
こうして無事に終わったのもみんなのお陰だと思うと本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。
よくプラマイゼロ!って言うけど、私の場合絶対マイプラ→プラスだと思う。
2014年 2月 26日 掲載

ムサシが死んで1週間くらい経った頃でしょうか・・・。
仕事中に看護師のYさんに、「先生は、ケンちゃん(我が家のもう一頭の犬、15歳♂ミニチュアダックス)がいてくれるから、ペットロスにならなくて済んでるんですね!」と言われました。

「え~!? Yさん、全然違うんだよぉ~!! 
三か月くらい前にあなたの猫ちゃんの具合が悪くなって、うちに入院させたことあったでしょ!? そん時、あなた病院で働いてる間もめっちゃブルーになってたから、『Yさんの心配な気持ちは解るけど、顔に出し過ぎだよ~!』って、私あなたに注意したよね~・・・。そんな事言った私がそうそう悲しみを顔に出すわけにはイカンでしょう~・・・。」と、心の中で呟きました。(Yさん、ごめんね・・・!)

本当の事を言うと、仕事の合間にムサシを思い出してはトイレでは泣き・・・帰宅してはムサシが居た玄関で泣き・・・お散歩したコースを車で通った時にも泣き・・・鍼灸で大型犬の治療をさせて頂いたらまたうるうる来る始末・・・結構みんなに分からないように泣いてたんですね・・・。
私はバリバリペットロスでした。 
ただ、そこそこ仕事が忙しかったのでまだ良かったかも知れません。

ムサシがこの世を去った翌日、たまたまシータヒーリング仲間に電話した時、彼女にこう言われました。
「ムサシは、もう今世での役割を果たしたから、これからはゆりちゃん達の事を守る為に光の国へ行ったんだよ~。我慢しなくていいからいっぱい泣きな~・・・。そしていっぱいいっぱい泣いて悲しみを手放しな~・・・。」と・・・。
その言葉を聞いて更に私はいっぱいいっぱい泣きました。

皆さんは 『喪の作業』という言葉をご存知ですか?!
小さい頃から私の側にはだいたいワンちゃんなどの動物がいて、何度か彼らとの辛い別れを経験してきました。
でも、この度ムサシが死んで生まれて初めてペットロス状態になり、そして生まれて初めて 『喪の作業』というものを自ら体験したのでした。

話は変わりますが、今から17年くらい前の事でしょうか・・・。
重度の糖尿病で入院していた猫ちゃんがいました。
飼い主さまご夫婦には子供さんががおられなくて、その猫ちゃんを子供の様にとても大切に育てておられました。
その子はいつも甘えん坊で元気な猫ちゃんでしたが、「食欲も元気もない。」ということで来院された時には、糖尿病の末期(正しくは糖尿病から来る合併症の腎不全の末期)になっていたのでした。
飼い主さまには、糖尿病について詳しくご説明し、そして入院中に毎日面会に来られる度にその子の状態を詳しくお伝えしていました。
ですが、残念な事にある寒い冬の夜、その子はついに息を引き取ってしまいました。
その子が亡くなった事をお電話でお伝えし、ご遺体を引き取りに来られた時に奥さまは 「いろいろお世話になりました。ありがとうございました。」と、涙ながらに言って連れてお帰りになりました。

ですが、それから二日程して、その方が血相を変えて病院に来られました。
「先生! 入院中のカルテ見せて!! カルテ下さい!!」と・・・。
「同じ方かしら!?」と疑いたくなるくらいこわばった表情で・・・何をお聞きしてもとにかくその一点張りでした。

私は、彼女の言葉を聞いて 「信頼関係の元に預けて下さっていると思ってたのに、〇〇さんは私の治療を疑ってみえるのかしら・・・?!夜中だって何回も様子を見に行ったりして、私なりに一生懸命治療させて頂いたつもりなのに、なんで~・・・!?」と、ショックのような落胆する様な何とも言えない気持ちになりました。
とは言え、カルテをお見せしない理由は一つもありませんでしたので、直ぐにカルテをお見せしながら、以前ご面会でいらした時にご説明した事とほぼ同じ事を再び彼女にお伝えしました。
「この日は、△△ちゃんのお顔つきも良く食欲もあり、ご機嫌でしたよ。何時にインシュリンをこれくらいうち、血糖値はこれくらいであり、そして腎臓の血液検査の値は・・・・。」という具合に全てお伝えしたのですね。

彼女は私の言葉の一言も聞き洩らさない様にじっくりお聞きになりながら、そして大粒の涙をたくさん流されながら・・・・最後にようやく納得して下さったようで(腑に落ちたと言う感じで)、「先生、解りました。本当にありがとうございました。」とおっしゃってお帰りになりました。

数日後、わりと懇意にして下さっていた精神科の先生のワンちゃんの治療をする機会がありましたので、その時の状況をその先生にお話してみました。
おそらく私の中で 「今回の事はこれでいいんだよね・・・。」と自分自身に言い聞かせながらも、どこか釈然としないところがあったんだろうと思います。

すると・・・開口一番 「工藤先生、それはね~・・・。心理学用語で 『喪の作業』って言うんだよ!自分が愛していた対象が亡くなってしまって、それをなかなか受け入れることが出来なくて、一旦自分を責めたりその時に治療していた医者や獣医を責めるんだよね。 そうこうしているうちにやっと自分の大切な愛した対象が亡くなったということを受け入れることが出来る・・・そういうのを『喪の作業』って言うんだよね・・・。」とおっしゃいました。 
(宜しければ、「喪の作業の話」と、「対象喪失の心理学 – Veritas 心理教育相談室 – nifty」を参照して下さい。)

あれから17年の月日が経ち・・・その後も飼い主さまの大切な家族である動物の命を預かる仕事をさせて頂いて、飼い主さまと動物のお別れの場面に何度も遭遇しました。
その都度、私なりに飼い主さまのお気持ちに少しでも寄り添って共感できるのであればそうしたいと心から願ってそうさせて頂いていたつもりでしたが、この度ムサシを失って久し振りに大切な対象を亡くした心の痛みを再び味わいました。
そして、この場に及んで生まれて初めて、今お話した糖尿病で大切な猫ちゃんを亡くした飼い主さま同様、『喪の作業』とでも言いましょうか、ムサシの死をちゃんと受け入れるまでの間、心の中でそうっと他人のせいにした日々が続いたのでした・・・。

ムサシとケンの写真

誕生日の前日に三男からメールがあった。「誕プレ少し待ってくれ!」と。
その2日後に渡されたのがこれ。ムサシとケンの写真である。
いつも机に向かうとこの2頭が見ていてくれる。(因みにケンはまだ生きてるが・・・。)

2014年 2月 03日 掲載

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

新年早々ですが、実は当院の供血犬(貧血の患者犬に血を提供する犬)であり、我が家の最愛の家族だったムサシが、12月11日に亡くなったことをご報告させて頂きます。
このコラムでも何度かムサシの事は書かせて頂きましたので、いろいろな方から励ましのお言葉を頂きました。
本当にありがとうございました。

「血管肉腫」という難治性の癌に罹っている事を知ったのが一昨年の9月であり、手術と抗癌剤治療、鍼灸、テレセラピー等で、何とか命を繋いできましたが、とうとうお別れの日が来てしまいました。

前回このコラムをムサシの隣りで書いた後、私が仕事に出て二時間ほどして、ムサシは誰もいない所で独りで息を引き取ってしまいました。
長い間この仕事を続けて来て、患者さん(動物)達の最期のお話を飼い主さまから聞かせて頂く機会が多かったので、実は私は 「一番大事な人が帰って来るのをこの子達は待っててくれる事が多いから、うちのムサシだって絶対に次男が帰って来るのを待っててくれるはずだわ・・・!!」 という変な自信がありました。
ムサシは息も絶え絶えに頑張ってくれていたにも拘らず、その事を信じて疑わない私がいたのですね・・・。
ですので、その日も出掛ける時はいつも通りに、「ムサシに「行ってくるよ!もう少しで次男が帰って来るからね!」とだけ告げて仕事に出ました。

たまたま午前中の私の担当患者さんは1頭だけだったので、診察が終わり次第直ぐ帰ることになっていたのですが、この日に限って、名古屋高速が渋滞になり・・・春日井から来てくれる先生の出勤が遅くなることが判明しました。
先程言っていた様に 「次男が帰って来るまでムサシは絶対に死なない!」と言う変な自信はありましたが、正直状態の悪さは把握していましたので、思わず 「ムサシ、本当にヤバいんだわ・・・。」とつい口に出してしまいました。ですが、私が抜けると後の方々をお待たせする状況にあるのは解ってましたので、心配そうに私の顔を覗き見る看護士達に「大丈夫。残るわ・・・。仕事が一番大事なんだから・・・。」と、その先生に代わって2頭の診察をこなしてから急いで家に帰りました。

その途中・・・「あと少しで家に到着!」と言うところで夫から電話があり、既にムサシが息を引き取っていたことを知りました。
家に着いて直ぐムサシの亡骸にしがみついて泣きました。
「こんなことだったら、朝出てくる前にもっとムサシの顔に私の頬をこすりつけて、いっぱいいっぱい抱きしめてあげれば良かった・・・・。。。。」
そうこうしているうちに次男が帰って来て、二人で涙が枯れるほど泣きました。

ですが、午後の診察があったのでその後病院に戻り、みんなにムサシの報告とお礼を言って仕事に就きました。
そして私が仕事をしている間に、ムサシは荼毘にふす為夫と次男とで名古屋のお寺に運ばれたのでした。

「なぜ・・・いつも私はこうなんだろう~・・・・。大事な人(動物)の死に目にいっつも逢えない!! チロの時もクロの時もアトムの時も、おばあちゃんの時も弟の時も・・・ずっとずっとそうだった・・・。」と思いながら、ムサシに本当に申し訳ない気がして、こんな自分がとても情けなく思えてきました。
そしてその気持ちはずっと続きました・・・。

ムサシの身体が大きかったせいか、お骨にするのに想像以上に時間が掛かり、お寺から次男達が帰宅するより私の仕事の方が早く終わってしまいました。
私は、ムサシの居ない玄関に1人で帰るのがすごく辛かったので、次男に電話して、「喫茶店で時間つぶすから、家に着くちょっと前に電話して!」と言いました。

その後次男から「そろそろ着くから。」との電話が入り、タッチの差で私の車の方が早く家に着いた途端・・・「あっ!!」と驚くことが起こりました。
私の車が玄関の間隣り(まどなり)の駐車場に着いた途端、エンジンを切ったわけでもなくシフトレバーすら触っていなかったのに突然車のライトが消えたのです。(翌日には点きましたが。)

生前ムサシは、私が仕事から帰ると私の気配を感じて、車を停めるのが早いか彼の鳴き声が早いか?!と言う感じでいつも玄関でクンクン甘えた声で迎えてくれるのでした。
そう・・・その時、あたかもムサシが 「ここに居るよ!いつも一緒だよ~!!」と、言わんばかりにライトが消えた様に感じたのですね・・・。

他人様は笑うかも知れませんが、私は仕事柄、以前からそういう「亡くなった動物のはっきりした意志」のようなものを体験したことがありましたし、祖母が亡くなった時も同じような事が起きましたので、全然不自然さもそして不気味さも感じませんでした。

ムサシは死んでからも、飼い主である私の心を読み取っていたのでしょうか・・・。
私は最期の瞬間にムサシの側に居てあげられなかった自分を責めていましたが(それは実際何日間も続きはしましたが)、そのムサシの合図があったお陰で、少しだけ心が軽くなったように感じました。

ある日のムサシ

ある日のムサシ
ムサシが死んでから、次男が私の携帯に送ってきた写真。
「お気に入りの一枚」だとか…。「やっぱムサシは可愛いね~!」と言った私も、やはり「親バカ」ならぬ「飼い主バカ?」でした(笑)。

外でのお灸タイム

外でのお灸タイム
「結構退屈なんだけど…母さん一生懸命やってるし、ガムの為にも頑張るしかないッス!」

お骨とお花

お骨とお花
ある飼い主さまが、ムサシの訃報をお聞きになってお花を病院に持ってきて下さいました。
ありがとうございましたm(_ _)m。お骨はここですが、ムサシはいつもいろんな所に居るような気がするのですね…。

2014年 1月 03日 掲載