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犬・猫・ペットの治療と予防│リリー動物病院

院長コラム

「忙しいと言う文字は人の心を亡くすと書く」 とよく言われるが、この数日間やたら忙しい日が続いている。

<ムサシの二回目の抗癌剤の治療>
ムサシの二回目の抗癌治療であるが、実は10月3日に一旦チャレンジしたのだが、初回入院した時の点滴治療のせいで静脈に沢山の瘢痕(傷跡)が出来てしまい、何度か留置針を入れようとチャレンジしたのだが結局入らなかった。
それでその日は諦めて抗癌剤治療は6日に延期になった。

ところで10月6日と言えば、“半田市内の31台の山車が一斉に勢ぞろいする5年に一度の 『半田山車まつり』の一日目” である。
半田市内に住む我が家の息子達はご多分に漏れず3人とも“お祭り男”である。
前日の夜仕事を終えて私が帰宅したら、既に長男の友達1人+三男の友達3人の計4人が祭りの準備の為に我が家に泊まりに来ていた。
疲れている私に長男は情け容赦なく 「母さん、明日の集合の時間(5時半)までにこの胴巻き(祭りの衣装)のボタンを付け替えといてね!」とのたまった。
それだけならまだしも、「母さんはいっつも朝ギリギリでやるんだから、今、付けてよ!今!!」と言われてしまい・・・ビールを飲みながらボタンを付け替えた。

翌朝は案の定(毎年春の祭りはそうなので)、息子達の祭りの準備の為に4時半に起きて・・・晒しだの胴巻きだのって安全ピン片手に彼らの手伝いをした。
そして一息ついた後、病院に行き10時からムサシの二回目の抗癌治療を行った。
今回留置針が入らなければ、前回の抗癌剤治療から間隔が空きすぎてしまうので、「是が非でも留置針を入れたい!」と言う緊張の真っただ中・・・どうにかこうにか留置針が入った!!(山下さん、ありがとう!)

その後一時間ほどムサシの留置針がずれないかムサシについていたが、両親に息子達の祭りの姿を見せたくて、後の管理は加藤先生と看護師達にお願いして病院を出た。
この日、ムサシは無事に二回目の抗癌剤の治療を終え、祭りの後で病院に迎えに行ったらとても元気だった。(ほっ・・!)

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<半田山車まつり・・・感謝>
半田の山車まつりは、私にとって何度めだろうか・・・?!
思い起こせば20年前・・・半田市に移り住んで間もない頃であった。
そういうお祭りがあるって聞いて、兄嫁さんと一歳になる長男を連れて見に行ったのが始めだった。
雄大な31台の山車に感動し、長男を「高い高~い」の高い状態にして、「ほら~っ!よ~く見なさい!」と観せたのを覚えている。(だから長男は祭り男になったんだろうな~・・。)

その後毎回観にきていて、5年前は脳内出血で右半身不随になった父と母、そして兄嫁さん一家とできた。
その時、多くの人並みで車椅子に座っている父には山車が観えないと思って、「5年後は絶対に桟敷席で見ようね!」と言ってから、あっという間にその日が来た。
桟敷席から眺め観る31台の山車は、正に雄大であり・・・半田の歴史の深さ、祭りや山車を大切にする半田市民の心意気…などいろいろな思いが湧きあがってくるのを感じながら山車に魅入っていた。

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だがしかし・・・今まで何度か障害を持つ父と母(母は健常であり父の介護をしている)と行動を共にしてきたが、祭りの人のごった返しの中の車椅子はまだしも、桟敷席の階段がこんなに大変なことだったとは想像してなかった。
手作りの桟敷席は、途中から一段一段の幅が高くなっていて、健常者にとっては「ちょっときついわね~!」で済むくらいなのだが、右半身不随の父の昇り降りは相当なものであった。
ましてや階段を降りるのは後ろを向かないと降りれないなんてこと、この日に初めて知った!(さすがこの娘にして、この母親である・・・もっと早くに言っててくれてたら、息子達におんぶさせたのに~・・・(苛々)。)
だが、本当に温かい人達がいるもので・・・おそらく市の職員の方か市民のボランティアの方だと思うのだが、父の階段を登って行った時に手伝って下さった方がいらした。
そして恐縮している私達に気遣って下さり 「降りる時も声掛けて下さいね!」と、言って下さった。
本当に感謝である。
息子の嫁さんにしたいくらいである。(ちと早いか~・・・!?)

こんな歳になっても、何かをすれば感じることがある。
だから行動するって大事なんだな~・・・。
この度、父を祭りに連れてって、障害を持つ人をお祭りに連れて行く事がどれ程大変かって事が身に染みて解ったし、おそらくまだまだ課題はあろうが20~30年前と比べたら、障害を持つ人やその家族に対して “ごく普通にお手伝いして下さる方”が増えつつあるのではないかって思った。
お名前をお聞きしそびれてしまったが、その時のお二人の方、本当にありがとうございましたm(_ _)m。

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<動物の鍼灸の専門学校入学式>
翌日の7日は、私も学ばせて頂いている小動物中医学研究会(鍼灸・漢方などの東洋医学の治療)の勉強会を立ち上げられた3人の先生のうちの山内健志先生が創設された動物の鍼灸の専門学校入学式が吉祥寺で行われた。

数年前から山内先生が構想を練られて行動され・・・去年10月に日本初の動物の鍼灸専門学校第1期生が入学した。
この度、無事に私も2期生になり、この日に入学式が行われた。

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山内先生の熱き想いをお聞きして、8年前から山内先生から学ばせて頂いていたが(今は学校設立の為に西依先生が後任で講師になられている。)、この学校に入学して絶対間違いはなかったと確信した1日であった。
その件に関しては、また別の時に書かせて頂くことにする。

<後記>
お話ししたいことが盛りだくさんで、いつもにも増して長いコラムになってしまいました。
毎回稚拙な文章のコラムをお読みくださいまして、誠にありがとうございます!
いつも温かい方々に囲まれて・・・こうして元氣で仕事をさせて頂いています。
本当に感謝の日々です・・・。
そして、ムサシも一応順調です。皆さまありがとうございます。
朝夕の温度に差が出て来てますので、どうぞくれぐれもお風邪など召されません様ご留意くださいね!

2012年 10月 10日 掲載

今回からしばらくは 「ムサシの闘病日記」的なコラムになりますが、悪性腫瘍の動物を持つ1人の飼い主として・・・だからと言って自分の感情に溺れすぎないように気を付けながら・・・私を含めた家族の気持ちやムサシの状態を粛々と書かせて頂こうと思います。

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ムサシの手術
私が鍼灸のみの診察になってからこの一年半はメスを全く握っていない。
なので、この日はオーパス動物病院の和田獣医師にも応援をお願いし、和田獣医師と水出獣医師により手術は行われた。

ムサシは9月4日に脾臓摘出術をして以来、完全復活とは言えなかったが、結構元気を取り戻したので、9月12日に第1回めの抗癌治療を施すことになった。
腕の血管(静脈)に留置針という細いストロー状の管を埋め込み、そこから1時間掛けて抗癌剤をゆっくり血管に点滴する方法を取るのだが、ムサシが入院犬舎で暴れてしまって留置針がずれて薬が血管外へ漏れると、その部分の組織(腕の一部)が腐ってしまって大変な事になる。
なので点滴をしている間、何度も犬舎を覗かなくてはならない。点滴が終わるまでの間気が抜けない治療法である。
ただ、それだけ殆んどの抗癌剤には強い作用があるということなのだ。
まさに“諸刃の剣”である。
治療は無事に終わったのだが、ご多分に漏れずムサシも他の癌患者さん同様抗癌剤投与の翌日からめっきり元気がなくなってしまった。

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厳正なるチェック
抗癌剤が漏れたら大変だと、留置針がずれてないか加藤先生が厳正にチェック。
「もう飽きちゃったんだよな~・・・。加藤先生、早くしてくんねえかな~・・・。」

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ムサシの爪
獣医さながら飼い主失格である。
こんなに爪が伸びてたなんて、今回ムサシが病気になってから初めて気づいた。
舌のシワと色の薄さはずっと気にはなっていたが、運動場で自由に動いているにも拘らずこれだけ爪が伸びてたってことは、結構前から身体はしんどかったのかも知れない・・・。
ムサシ、ごめん・・・。

主な副作用は、①心毒性(心臓疾患になったり、元々持っていた心臓疾患が抗癌剤をきっかけにして悪化し、それにより死に至ることもある。)、②骨髄抑制(赤血球・白血球の減少)、③胃腸障害(出血性大腸炎)、④腎毒性(主に猫と言われてはいる。)等であるが、1週間めの血液検査は散々だった。

供血犬だったはずのムサシは、ド貧血になり・・・「これ以上下がるとマジにヤバイ!! 一体ムサシは誰から血をもらえばいいのだろう・・・。」 と言うくらいまで貧血になっ てしまった。
そして腎臓、肝臓、どちらの値も急激に上昇してしまった。(勿論手術前からこれらの値は悪かったのだが、一旦回復しだしたところで抗癌剤を使った為、前以上にガタガタになってしまった。)
一先ず、抗癌剤の選択と施術は加藤先生を中心に看護師達にも協力してもらい、私は鍼灸の治療と共にテレセラピー(遠隔治療)を施し、オーリングテストで対症療法薬の選択をした。

ここで私の恥をさらすことになるのだが、オーリングテスト(筋肉反射テスト)と言うのは、一見単純な技法だが実はとても難しい検査である。(と、私は思う。)
自我や病気に対する自分の考え(この症状にはこの薬が良いに決まってる!と言う先入観)が入ってしまうことがままあるし、いつも自分をニュートラルな状態にしておかないと、患者さんが一番求めている薬がうまく選択できないのである。
今まで長い間オーリングテストで患者さんの薬の選択をしてきたが、それが故に反省した場面もある・・・。
10年前に氏家さん(この1月に他界された瞑想の師匠)率いるインド・ネパールの旅で京都の堀田先生(内科医)とご一緒させて頂いた時なんかは、もう空港に着くや否や堀田先生を追いかけて、「どうしたら正しいオーリングテストができるでしょうか!?」としつこく質問攻めをさせて頂いた記憶がある。(心の広い堀田先生は、その時嫌なお顔一つなさらずにお答え下さったが・・・。)

ド貧血と共に白血球が下がる筈であったのだが、下がるどころか上がりっ放しだったので、「とにかく、これらと腎臓・肝臓を何とかしなきゃ!!」と言うことになり、ムサシは漢方薬を含むたくさんの薬の薬漬け生活が始まった。
そして食事は、ヒルズの癌患者用の缶詰(n/d)と共にカロリーが低くならないように注意しながら、n/d缶詰+手作り和食 に切り替えた。

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n/d(癌患者用缶詰)
癌細胞が作り出す乳酸を抑える為に、炭水化物を最低限にしてあり、高栄養(高蛋白、高脂質)になっている。そしてアルギニンとオメガ3脂肪酸を多く含むことにより免疫を維持している。

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手作りご飯
一先ず魚・豆腐・そして青物など色のついた野菜など、和食を主とした食事をn/dと共に与えている。(肉類も与えてはいる)
野菜の向こう側にあるタッパーは、この間アピタで見つけた優れものである。ざるみたいになっているタッパーの中身に野菜を詰め込んで、それをタッパーに入れて蓋してチンするだけで、野菜が茹でられるのである。 思わず感激してしまった。

そして9月26日、抗癌剤投与後2週間の血液検査は全部正常値になったのだった(^^)V。
このまま順調に行けば、10月3日に2回目の抗癌剤を使う事が出来る!
と思ったが、ちょうど血液検査をした26日はかなり活力があり、散歩中リードを健常時の様に引っ張る傾向にあったが(ムカッ・・!苦笑)、月末から引っ張る力が弱くなりだし、散歩も少し歩くと直ぐバテる様になった。
見えない所で、彼の身体の癌細胞が悪さをし出したのだろうか・・・。つづく。

「追記」
毎日出勤前に私は 「ムサシ、大好きだよ! 長生きすんだよ!行ってくるね。」と言ってから車に乗る。(勿論、同居犬のケンにも大好きって前から言っている。)
天才を育てた親は、子供にしつこく 「あなたは天才なのよ!」と言って脳を含めた子供の全細胞にそれを記憶させたって何かの本に書いてあった様な気がするから、案外その方法もいいかも知れない!って思って、毎朝ムサシに言うことにしたのである。
自分の能力のなさを親のせいにするつもりはないが、幼い頃から「あんたは不器用でいつもぼーっとしてるわね~!」って言われて育ったせいか、こんなんなので(また苦笑・・・。)、
もしかして毎日「あなたは天才よ!」言われて育ってたら、私ってスゴイ人になってたかも知れない!(・・・ホンマかいな~?!)
・・・ と言うことで、世のお母さん!(お父さんも)ご自分のお子さんをたくさんたくさん褒めて抱きしめてあげましょうね~!! それってとっても大事みたいですよ!

2012年 10月 01日 掲載

2日の日曜の朝、ムサシ(我が家の家族であり、当院の貧血の患者さんに血をあげるお役目を持つ供血犬、シェパード♂7歳)に朝ご飯をあげたら、食欲が全くなかったので少し気になったのだが、そのまま夜を迎えた。

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夜10時くらいだっただろうか・・・。
息子達とテレビを見ていたら、ムサシの散歩から帰ってきたムサシの一番の飼い主さんである次男がいきなり叫んだ。
「母さん!!ムサシの腹が張ってて触ると痛がるし息も苦しそうなんだわ!ちょっと診てやって!!」とのこと。
起きている症状と大型犬ということから、「急性胃拡張もしくはそれによって併発する胃捻転」ではないかと判断した私は、半年くらい前の西依先生のセミナーの後のお茶会で「急性胃拡張もしくは胃捻転のワンちゃんが鍼灸の治療で手術をしなくて済んだ。」と言う話が出た事を思い出したので、「一先ずこんな時間だし、ここは鍼灸治療をしてみよう!」と思い、長男に鍼灸のセットを病院まで取りに行かせて直ぐに治療に入った。

家族全員が見守る中、治療を始めて30分くらいした頃だろうか。
ものすごい悪臭がしたかと思うと、胃の中のガスが抜けて楽になったようでムサシが急に元気になり始めた。
と、同時にお腹もすっきりしていた。
だが、事態はそれだけでは済まなかった・・・。

翌日、血液検査と共にレントゲン検査等をしたところ、白血球は正常値の5倍であり肝臓の値も高く、ムサシの腹部には液体がたくさん貯留していて脾臓が恐ろしいくらい腫れていることが解った。
そしてその液体は血液であり早急に手術をしないとムサシの命に係わる状況だったので、急遽脾臓摘出手術をすることになった。
(重ねて言えば、いつから脾臓が腫大していたのか分からないが、そのせいで脾臓のお隣にある胃が圧迫されて血流障害等が起き、胃の中にガスが溜まって胃拡張になり、2日の日に苦しくなったのだと思われる。)

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写真2

取り出した脾臓は、かなり肥大しており悪性腫瘍の部分は破裂しかけていた。(写真2)
術後東京の動物専門の検査センターに送ったところ、「血管肉腫」と、診断された。
血管肉腫は大型犬、特にシェパードに多い悪性の腫瘍である。
脾臓と共に腫瘍を摘出しても抗癌剤を使わなければ、生存中央値は19~86日であると言われている。
・・・調べる文献によって日数に多少のずれはあるが、要は「取ったらよし!」ではなく、現時点でムサシの身体の中でいろんな事が起こりつつあり、抗癌治療をしない限りもって3か月、早くて2週間くらいで死んでしまうと言うことなのだ。
そして、抗癌剤を使って延命できたとしても、その時の平均寿命日数は長くて1年と言われている。

検査センターの結果が出る前に 「血管肉腫かも知れない。」 と思った段階で家族を招集して家族会議をした。
上の事を家族に話した後、「副作用はあるけど、前に進む為に母さんはムサシに抗癌剤を使いたいと思うのね!みんなどう思う?!」 と一番の飼い主さんである次男と他の家族に尋ねた。
すると「ムサシが少しでも長生きしてくれるのなら・・・。」と言うことで、全員一致で抗癌剤を使う事に決まった。

その間、何度か血液検査等をしながらムサシの状態を診てきたが、自宅の運動場に入れても、やはり以前の様なやんちゃ振りは見受けられず、猫や外部の人に対して吠える声にも力が入らない感じであった。
そして、今日これから血液検査等をしながらムサシの状態が良ければ抗癌治療に入る。

開業してずっとこれまでの間、「少しでも飼い主さまの気持ちに寄り添う事ができたら・・・。」と言う思いで診察をしてきた。(つもりである。)
大事な家族である動物を亡くす飼い主さまのお気持ちに触れる度に心が痛くなったし、「あの飼い主さまは今、どうしておみえだろうか・・・?!お元気だろうか・・・?!」と、考える事もしばしばあった。
だが、こうして自分の大事な家族が「余命いくばくか・・・。」と言う状況を体験してみると、あの時の飼い主さま達のお気持ちがより身に染みて解る・・・。

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※病院に行く時間になりましたので、今日のコラムはここまでにします。最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
久々のコラムでしたがこんな内容になってしまいました。
でも、他の患者さん同様、全力を尽くしてムサシを見守って行こうと思っています。

2012年 9月 12日 掲載

こないだ θヒーリングセミナーの休憩時間に、近くの草履屋(ぞうりや)さんに入ってみた。
会場は御園座の直ぐ近くなので、「さすが伏見!!」と言う感じで、今も普通に草履屋があった。(失礼な表現になってごめんなさい!でもそういうお店って、知多郡には殆んどないのです。)
そこで、こんな長靴?を見つけて購入してみた。
うちのムサシの飼い主さん(二男)はこの春関東に行ってしまったので、朝晩は私がお散歩をしているのだが、こう雨の日が続くとさすがに散歩も嫌になる時がある。
だが、こんな長靴を履くとそれだけで、ルンルン♪ な気分になり散歩に行きたくなる。

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一目惚れして買った長靴(デヘッ、実は少しきついのだけど・・・。)

2000円弱でこんなに気分が良くなるなんて・・・、実に安上がりで単純な性格だと我ながら思う(苦笑)。
「よっしゃ~・・・。次は可愛いレインコートでも買おうかな~!」なんて思ったりして~・・・。

今朝は久々に晴天になり、心なしかムサシも気持ち良さげだった。
こないだもある患者さん(もちろんワンちゃんですよ。)の為に、血をたんとくれたんで大サービスしなくっちゃね~!
まっ、一応病院の供血犬になってくれてはいるのだけど、そうでなくともムサシは我が家にとって掛け替えのない家族です。

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また写真?! そんなん良いからさ~・・・。もっと遊んでくれよ~・・・・。

皆さま、愛犬の為に雨の中のお散歩、ご苦労さまで~す!
皆さまも楽しんでくださいね~(^^)/

2012年 6月 22日 掲載

最近友達の影響も受けて、結構ハードな曲も聴くようになったのだが、多くの歌の中で一番好きな歌がある。
それは、今は亡き河島英五さんの 「生きてりゃいいさ」である。

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さかのぼる事17年前 幼い頃よく遊びよく喧嘩もした4つ下の弟が突然亡くなってしまった。
実はその少し前に、この曲を車でずっと掛けていて・・・結構お気に入りだった。
だが、弟が死んでからはとんと嫌いになってしまった。
嫌いと言うより正直 「もう、聴きたくもないわ!!」と言う感じだった。

だが、「時間は薬」とはよく言ったもので、やっとこの頃この曲が聴けるようになった。
一年くらい前にたまたまある女性がリバイバルしているのを聴いてからである。

そんな折り・・・先週東京の鍼灸のセミナーが終わって新幹線から名古屋駅に降りた途端、あるビルの中日新聞ニュースのテロップを見て愕然とした。
「30歳未満の就職が決まっていない若者の自殺者、120名!」
なんという嘆かわしいことだろう~・・・・。

60年前は、うら若き青年達が戦争に巻き込まれ神風特攻隊と称して自ら命を絶ち・・・その後交通事故のみならず、就職出来ないという理由で命を落としてしまうなんて・・・。

「君が悲しみに心を閉ざした時、思い出して欲しい歌がある。・・・中略。
生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ そうさ生きてりゃいいのさ~。
喜びも悲しみも立ちどまりはしない。めぐりめぐって行くのさ。
手の掌をあわせよう ほら温もりが君の胸に届くだろう♪~」

紫陽花

14日から始まったシータヒーリングもいよいよ佳境に入ってきた。
「怒り、憤り、悲しみ、喜び等がいろいろな臓器に影響していて、その感情を溜めこむ事によってその臓器が病気になる。(或いはその逆もある。)」 これは今まで大学で習ってきた西洋医学にはない発想であり、7年前から学んでいる東洋医学(中医学)とかなり共通点があると思う。
と言うか、シータヒーリングは西洋医学は決して否定していないが、かなり東洋医学的な観点で病気を見ていると思う。

多くの受講生は、このセミナーによって気づきと共に心が浄化されつつあるようで、日に日に顔つきが良くなってきているのだが、無意識のうちにその古傷を押し隠そうとしている人もいてその反応に本人が戸惑う場面もある。

生涯傷を受けずに生きてきている人なんて一人もいないと思う。
ただ、そう・・・。
眼の前の家族、友達、恋人、そして縁あって一緒にいる動物達の為にもどうか自ら命を絶つことだけは止めてほしい。

喜びも悲しみも決して立ちどまりはしないのだから・・・。

2012年 5月 25日 掲載

今日(12日)は、昼過ぎまで病院で鍼灸の治療をした後、渋谷へ向かうことになっている。
明日は、吉祥寺で西依先生の「鍼灸セミナー・6回シリーズ・最終回」がある。
明日の最後のセミナーの為に自分なりに勉強したつもりだったが、正直まだまだ足りないと思う。

面白いことに、一週間前にいつもお世話になっているシータヒィーリングのYuji先生の個人セッションを受けたのだが、開口一番 「工藤さん、いつも焦ってるでしょう!!何かに追われてる感じだよね!」と言われてしまった・・・。
図星である。
本当に毎日毎日焦っているのだ。
焦ってる割には前に進めてないような気がして、更に焦る・・・。いつもその繰り返しである。

カエル

不思議なことに、子供の頃はいろんな虫を捕まえたりしてそれなりに野生児だった。なのに、カエルだけは苦手だった。今もそう…。「おいらだって好きでカエルに生まれたわけじゃないんだ!そう気持ち悪がるなよ~!」という声が聞こえてきそうである。

とまぁ、それは置いといて・・・
むふっ!! 実は今日は素敵な方と渋谷でお逢いすることになっている。
前々回(3月)の西依先生のセミナーの時、大学時代にお世話になった五反田の叔母にどうしても逢いたくて、叔母のお世話をしてくれている叔父にお願いして16年振りに叔母と再会したのだが、その時に居合わせた方がとても素敵な方だった。
その方と直ぐに意気投合してその後手紙のやり取りがあり、今日また渋谷でお逢いすることになったのである。
まるで恋人にでも逢うようなこの胸の高鳴りは、なかなか表現し難い。(残念ながら女性なのだが・・・。)

そうそう・・・。
去年の2月に、友達の万理ちゃんの勧めでクレッグ氏にお逢いした時、「これからあなたはいろいろなプロと出逢うだろう。」と言われたっけ・・・。
今日お逢いする方はなんと家政婦のプロなのである。(昨年「ちょっと運のいい家政婦」と言う本も出版された。)

よくよく考えたら、この1~2年の間、再会も含めて素晴らしい方との出逢いが多い。 私は本当に恵まれていると思う。
「私って、ついてるな~!!」と、思うと 「ついてるな~!!」って思いが、また「ついてる現象」を引き寄せてくれるので、またまた素敵な方にお逢いできるのである。

虫

ムサシ(当院の供血犬)の散歩の時に見かけて、あんまり可愛かったのでパチリ!だけど、この模様が二つだったら、害虫ってことで写真を撮らなかったかも知れない。 益虫だの害虫だのって、結局人間中心に考えて勝手に決めた事なのにね…。そういう人間だって自然や虫から見たら害人だっちゅうの。勿論私もその一人。

シータヒィーリングもそうである。
去年の夏だっただろうか・・・。
私にはちょっとした持病があって、ある病院できちんと治療して頂いていたのだが、なかなか治らなかった。
それでそこの院長に勧められたのがシータヒィーリングだった。
しかしネットで調べると腐るほどその講師がいて、困っていた矢先にある飼い主さまから「シータヒィーリングなら本物知ってるよ!」と教えて頂いたのがYuji先生である。
はっきり言って今まで「スピリチュアルの世界」にはそれほど興味はなかったのだが、シータヒィーリングにははまりかけている。
明日の鍼灸のセミナーが終わったら、14日から6月1日まで終日シータヒィーリングのアナトミーセミナーがある。(今、鍼灸で診察させて頂いている患者さんと飼い主さまには、その間診察時間を短縮させて頂きますので大変ご迷惑をお掛けします。誠に申し訳ありません。)
今回のアナトミーセミナーは、おそらく私のこれからの診察やアニマルコミュニケーション、そして生きて行く上でも大いに役立つと思う。

今日から わくわく(^^)」Vの毎日が待っている。
「あ~・・・。生きてて良かったな~・・・!!」

こでまり

お散歩でふと見たら、こでまりが咲いてた。 お花屋さんの花も好きだけど、こういう何気ない花もいいですね~…。

2012年 5月 12日 掲載

3月17・18日と、五反田で「師温会」と言う鍼灸のセミナーがあった。

師温会については以前コラムで何度か触れたことがあるが、「中医学の権威であられた今は亡き温雪楓先生の教えを、同じ鍼灸治療をする人たちに伝えて行こう。」という目的で15年ほど前に、温先生に師事してらっしゃった先生方によって立ち上げられた勉強会である。

講師の方々は、前会長・現会長を始め、深い鍼灸治療で活躍してらっしゃる先生(医師、鍼灸師、獣医師)ばかりなので、私は出席する度に襟元を正す気持ちになる。
副会長には獣医の山内先生がなっておられ、西依先生も講師をお勤めになっている。(因みにお二人とも獣医として鍼灸治療をなさるだけではなく、人の鍼灸治療もしておられる。)

1日めは1時半から6時までが講義と実践なのであるが、実践では毎回受講生から患者モデルを募る。
そして他の受講生が講師の先生方のアドバイスを受けながら、患者モデルを治療して行く流れになっている。
写真1のように、“まな板の上の鯉が如く”診察台に寝かされた患者モデルは、一鍼打つ毎に参加している受講者達に脈の変化を診てもらいながら、治療してもらうのである。
患者モデルも最初は緊張しているのだが、モデルになって治療してもらうことにより身体が楽になることには代えられないと、結局次の日もモデルを買ってでる(笑)。

患者モデルが皆さんに脈を取られているところ

写真1:
患者モデルが皆さんに脈を取られているところ

花粉症の患者モデルに耳針を打っているところ

写真2:
花粉症の患者モデルに耳針を打っているところ

さて、セミナーの後いつもの懇親会となり、和気あいあいとお酒を酌み交わした。

そこまではいつも通りだったのだが、懇親会の後半に会長の国分先生が 「只今より、重大発表があります。理事も世代交代の時期となりました。新しい理事の発表をします。
ただしこれは選択の余地がない。言うなれば新しい理事に任命された方は有無を言わさずその役目を果たして頂く事になります。」とのことであった。
次々に名前が発表されたのだが、最後に「工藤先生」と、言われた時正直言って耳を疑ってしまった。
「うっそう~・・・。なんでこのあたしが・・・???」と。
もっと適任だと思われる先生が沢山いらっしゃるのに、「なぜ?!」と思ったが、もしかして、これは山内先生や西依先生が敢えて私を推薦して下さったのではないかと思った。(確認してないけど・・・。)

・親は、子を育てることによって成長させてもらって親にしてもらう。
・飼い主さまは、動物を育ててそこで飼い主さまにしてもらう。
・教師も獣医もしかり・・・。だといつも私は思っている。

なので、「この頼りない私を成長させるのが目的でお二人が理事に推薦されたのではないかな~・・・。」と思ったのだ。
「そうか・・・。だったらご期待に副える様にがんばんなきゃ~!!」と、ここまでなら、普通の話で終わるところだったのだが、実はまだ続きがあった・・・。

何とその後、部屋に帰った私は睡眠不足も手伝って、そのままバタンキュウーとなり、翌朝病院のスタッフからのメールで起きた。時間は9時ちょっと前!!
二日めのセミナーは9時からである。
「ひえ~・・・・。肝心な時にまたやらかした~・・・。」

半泣きになりながら、化粧を落として着替えていると、ドアをノックする音が・・・。
「工藤先生~・・・。起きてらっしゃいますよね!?」
「は、はい!」
それは紛れもなく事務局の折田先生のお声であった。
「や~・・・。寝坊されたとは思ってましたけど、もしもの事があるといけないと思って、一応覗きに来ましたよ。」とのこと・・・・。
心からお詫びを言って、40分ぐらい遅れてセミナーに出席した。

会長の国分先生に 「工藤さん!おはよう~!!よく眠れましたか!?」と、からかわれたのは、言うまでもない・・・。

は~・・・。
「でも、何はともあれ、気合入れて精進しよう!!」 と決意した一日であった。

2012年 3月 31日 掲載

一日があまりにも早く過ぎてしまい、いつもいろんな事で感動し、今毎日が楽しい。

開業して17年が経ち、目まぐるしい状況の中で気がついたら結構なおばさんになっていた。
誰もがそうだろうが、私も今まで生きてきて良い事も悪い(とその時感じた)事もたくさんあった。
泥の中に咲く蓮の花の様にいろんな事があったからこそ、今を楽しく感じることができるのかも知れない。
毎日暖かな晴天で雨や嵐を知ることがなければ、おそらく晴れの日の心地良さもわからないであろう。

コラムにずっと前から書こうと思いつつ、いつも機を逸していた事が一つあった。
それは、鍼灸の専門学校を辞めたことである。

「自分のハートの声」に従って熱望して昨春入学した鍼灸の専門学校であったが、10月に体調を壊して休学した後いろいろ考えた末に退学することにした。
退学を決めるまでは、正直言って勇気を要した。
「事を始める時」と「辞める時」のエネルギーにこんなに大きな差があることに、この時初めて気がついた。

17年前に交通事故に遭い、首から腰まで痛くない日がなかった私は今までいろいろな治療院へ通ったがなかなか改善しなかった。
そんな折、小中研(小動物中医学研究会)でご指導して頂いている山内先生や西依先生を見て、 「先生方みたいに、人も動物も鍼灸で楽にして差し上げることが出来たら、なんて素敵だろう~!!」と思い、一念発起して人の鍼灸の専門学校に行き始めたのである。
その為に子育て中で休職していた水出先生を遠方から招き、午前中は鍼灸の学校、午後からは診察の毎日であった。

学生生活と仕事は充実していたのだが、結局10月に三回目の突発性難聴になり・・・、それを機に学校を辞める事に決めた。

しかし・・・決めてからは実にすっきりした。

「捨てる事の楽さと大事さ」を知り・・・ついでに長い間引きずってきた事も捨ててしまった。
それは『ネバネバ星人』である。
子供のころから身体にずっと染み付いていた 「~しなくてはならない。(~ネバならない。)」と言うのを取っ払ってしまったのだ。
「いつも良い子にしていなければならない。一度始めたら最後までやり通さなければならない。親から愛される為には~せねばならない・・・云々。」である。
この『ネバネバ星人』を止めたら、心が自由になった。

そうするとまた見えて来るものがあった。
「自分が本当に今やりたい事」が明確になってきたのである。
勿論、その「自分のハートの声」を聴くのに「θフィーリング」に出逢った事もとてもラッキーだったと思う。(その扉を開いて下さったC病院のY医師と飼い主さまのOさんに、心から感謝している。)

そんな中・・・1月に氏家さんの告別式でインドへ一緒に行ったお仲間と久々に逢ったのだが、ある人から 「な~んだ、工藤さん。もっとけちょんけちょんで元気ないのを期待してたのに、めっちゃ元気じゃない!?(笑)」と言われた。
するとそこに居らした堀田先生が 「え~!?見て分からない!? 工藤さんは、一年前よりも一皮も二皮もめくれたよ~!!」とおっしゃった。
それを聞いて、上機嫌で愛知へ帰ってきた私がいた。(むふふ・・。)

ただ、我ながら反省した事が一つある。 
堀田先生がその後で 「あれ~!? 『堀田先生!いつも診察でお疲れのご様子なので、私が鍼灸師になったら一番に堀田先生のお身体をお楽にさせて頂きますね!』って工藤さんが言ってくれたんで、僕は大いに期待してたんだよ~・・。残念だな~・・・。」とおっしゃった事である。
事もあろうに、“今、毎日が楽しい私”は、昨年そんな事を堀田先生に言った事まで忘れてしまっていた。
あ~あ・・・。またやらかしてしまった・・・。

でも、いろいろあって今があって・・・。
開業してから今が一番楽しいです。
周りの皆さまに感謝です!


3月中にリニューアルする当院のHPの会議
左から水出先生と看護士の柴田さん

3月1日の西依先生のセミナー行きの新幹線にて・・・。
もう何十回 東京・名古屋間を往復したか知れない。
だが、その度に富士山を拝んでしまう。
拝むと言うより「恋人に逢えて超嬉しい!!」と言う感じで毎回見とれてしまう。

1日の西依先生のセミナーの後は懇親会があったので、品川のホテルからパシャッ!!
「田舎もん!」と人から笑われるかも知れないが、夜の東京タワーもめっちゃ好きである。
2012年 3月 06日 掲載

2月9日に、東京で「鍼灸基礎・完全習得コース」のセミナーがあった。
西依先生の月一期間限定6回シリーズのセミナー3回目である。

この写真は、身体に肩こり等痛みがある受講生の一人が患者モデルになって、西依先生が鍼を打たれる前と後の脉(脈、みゃく)の変化をみんなで確認しているところである。

1時から6時まで、3回のトイレ休憩以外はずっとぶっ続けなので、講師も私達も疲れないと言ったら嘘になるのだが、みんなとても熱心でありそして実に面白くて楽しい!!

長い間小中研(小動物中医学研究会)のセミナーで、大事な事をたくさん学ばせて頂いたのだが、、その間ずっと毎日の仕事をこなさなくてはならない生活が続いていたので、素通りしてきたことがこんなにも多かったかと、今更ながら気づく事が多い。
そして去年の春から人の鍼灸の専門学校に通っていた事(何故か過去形・・!?)も良かったんだな~・・・とも思う。
短い間ではあったが、専門学校の授業を受けた事によって“点と線が繋がり易くなった”様に思うのである。

次回は3月1日・・・この日は次男の高校の卒業式である。
6回シリーズなので、休むわけにはいかない。
今思うと、この17年間私は仕事中心であり子供達には我慢ばかりさせて来たと思う。
3人とも文句一つ言わないでよくここまで育ってくれたものだと、子供達にも周りの方々にも感謝している。(文句を言わないのはある意味子供達も諦めていたところもあるとは思うのだが・・・。)
「卒業式に出れなくてごめんね・・・。」 と私。
「どうってことないよ~!まったく気にしとらんから大丈夫だってば!」 と次男。
有難いような、でも親としてはちょっと寂しいような・・・・。
何ともフクザツな気持ちである。

でもこうしてやりたい勉強をさせてもらえるという事は本当に有難い。
「まぁ~・・・。 ホンマに有難いこっちゃ!!」 (NHKの朝ドラのカーネーションの影響なのか、最近やたら河内弁になるわたくしでした(笑)。)

2012年 2月 13日 掲載

1月15日早朝 去年一緒にインドへ行ったM氏から、氏家さん訃報のメールが入った。
氏家さんは、「山」と言ういわきの瞑想場で瞑想法を指導しながら、癌などの難治性疾患の治療もしておられた。


氏家さんのご遺影

私は、10年前にある代替医療のセミナーで氏家さんと知り合い、その後瞑想を習う為にに「山」へ何度も足を運んだ。
行くと、決まって朝まで氏家さんとお酒を交わした。

毎回私はその時の課題?を一つ持って行くので、その度に氏家さんはお酒の席で 「工藤さん、それはね~・・・。こういう事だと思うよ!」と、教えて下さった。
それで一気に肩の力が抜けてまた愛知で頑張ることができた気がする。
氏家さんは様々なグルに逢いに60数回インドへ行かれたとのことだったが、元々持っておられた気質もあるのだろう・・・。
人を観る眼の鋭さと優しさは、人一倍長けておられたと思う。
氏家さんとは、実は5年ほどブランクがあったのだが、一昨年また交流が始まった。
だが・・・まさかこんな早くに亡くなってしまうとは、夢にも思わなかった。

人は一生のうちでどれだけの偉業を成し遂げたか・・・、どれだけの名声を得る事が出来たか・・・、あるいはどれだけお金を残したか・・・。どこにその価値を置くかは人それそれだと思う。
だが、こうして亡くなった後も、その方の優しさ、ほっとさせるような温かさ、ユーモアさ・・・目には見えないが、それこそ一番大切な遺産ではないかと私は思う。
氏家さんのご冥福とうちの病院のキキの冥福を心からお祈り致します。

 
※追記;キキは開業して一年目に、産まれてひと月くらいだったと思うが兄弟のココと一緒に当院にやってきた。
病院に来た時、ウィルス性疾患のせいで二頭とも上瞼(まぶた)と下瞼が目ヤニでくっついてしまっていたので治療をしていたのだが、飼い主さまの都合によりそのままうちの病院の子になった。実に16年もの間病院の子としてスタッフ達に育ててもらったのである。

24日の日、私は朝から風邪のせいか熱を出してしまった。
予約の患者さんが数頭いたので、熱による身体の痛みをこらえながら診察をしていた。着替えて帰ろうとして時計を見た時には11時近かった。
休憩室の隣りの入院室にキキは居たので、余裕のある時はちょっと覗いてキキの顔をさすってから帰るのだが、この日は遅いし疲れてるし熱もあるし・・・と言う事で、入院室の外から「キキ、もう帰るよ~!バイバイね~!」と、声だけ掛けて帰った。
キキはいつもの様に「にゃ~!!」と挨拶をしてくれた。

そして翌日、熱が下がらず更に余裕のなかった私は声すら掛けずに帰ってしまった。
その後家について30分程して、電話が鳴った。
出てみると看護師だった。
「先生! キキが死んでます!!」との事・・・。
「あ~・・・。こんな事だったら、疲れててもキキの顔をさすってあげれば良かった・・・。」と悔やまれた。
いつ亡くなったのかはっきりしないが、くしくも発見されたのは私の誕生日の30分前だった。

キキが亡くなったその夜に、以前うちで働いてくれていた看護師の人達からお悔やみメールが沢山届いた。
そう・・・・。
キキは自分を主張する訳でもなく、ただずっと病院の二階に居て・・・それだけなのだが、ココと共に私やうちのスタッフ達をいつも癒してくれていたのである。

「キキ、長い間ありがとうね~・・・。
天国でココと楽しく暮らしてね~!
ずっと私達の事、見守っててね!
本当にありがとうね~・・・・。」


キキをお世話してくれた元看護師のKさんが撮影したもの。
亡くなった次の日に持ってきてくれました。
その後はずっと私の机の上に居て私を見てくれてます。
2012年 2月 02日 掲載