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犬・猫・ペットの治療と予防│リリー動物病院

負うた子に教えられ・・・今日はムサシの命日でした。

今日(12月11日)は、我が家の家族の一員であり、病院の供血犬でもあったムサシの命日でした。
ちょうど、去年の今日の朝、ムサシは1人(一匹)で旅立っていきました。

私は10年ぐらいの間、ずっと温めていたコラムのテーマがありました。
温めていたというよりも、「書きたいけど書けなかった。」と言う方が正しいかも知れません。

この仕事を通して「重い病気の動物達は、自分が死ぬ時期を知っている。だからこそ大好きな飼い主さまが出かけていれば、帰ってくるまで精一杯頑張って、飼い主さまの顔を見てからほっとして亡くなる子が多い。」ということを多くの動物達から学びました。
本当にそういう子が多いのです。
その経験から “動物達の直感力の凄さと飼い主さまへの愛の深さ” は相当なものだと感じていたので、この事をいつかコラムに書きたいな~と思ってました。
でも今まで書けませんでした。
それはなぜか・・・。 なぜなら、心の底からその子の最期(死に目)に逢いたいと願っていてもその子の最期に逢えなくて悲しい思いをされた飼い主さまだって沢山いると思ったからです。

そしてその「大事な子の最期に逢えなかった飼い主」の1人がたまたま去年の私でした。
それはおそらく「たまたま」ではなかったのでしょうね・・・。
「多くの起ることに偶然はない」ような気がしますので・・・。

ムサシは亡くなる3週間前から、衰退の一途を辿っていました。
あんなに好きだったおやつに目もくれず、顔はこけ、下半身がふらふらになり、立って排泄するのもやっとでした。
体中の臓器が癌に侵されていたのです。
仕事に行く時もセミナーで東京に行く時も・・・「ムサシ、行ってくるよ!」と声を掛け、内心「帰って来るまで生きててくれるかなぁ・・・。」と思いながら出掛けていました。それでもムサシはいつも気丈に私達を玄関で見送ってくれていました。
とは言え、最期の日の朝は、“ムサシの灯”が消えそうな予感がしていました。
そう・・・あの日こそは、死期が近いのを感じました。

その日の午前中の鍼灸の予約は朝9時から1頭だけあり、その後は入っていませんでしたので、その1頭だけ治療したらムサシに逢いに一旦家に帰るつもりでした。
ですが、運の悪いことにその日に限って遠方から来る獣医師が渋滞に遭い遅れるとの連絡が入りました。
私がそこで抜けたら、3頭の患者さんがいらしたので、その患者さんと飼い主さまをもう一人の獣医師一人で診る事になり、患者さん達をお待たせしてしまうことになってしまいます。
その時あるスタッフに「先生、今抜けられては困ります。」と言われました。
私は、「今日こそはムサシ本当にヤバイんだわ・・・。」とだけ言いましたが、そのスタッフの言葉にはなぜか逆らえませんでした。

「院長たるものは自分の犬の病気如きで患者さんをほったらかしにしてはならない!」と思ったのでしょうか・・・。

幸い重症患者さんはいなかったので、そのうちの1頭を治療させて頂いてから大急ぎで家に向かいました。
その途中で携帯が鳴り・・・ムサシの死を夫から告げられました。
夫はこの日はずっと家に居たのですが、ふと目を離した隙にムサシは誰もいないところで1人で息を引き取ったということでした。

ムサシの亡骸を見て、私は我を忘れて泣きました。
少ししたら次男も東京から帰って来て、二人で声が枯れるまで泣きました。
ムサシを亡くした悲しみと共に 「なぜ?! なぜ?! なぜ・・・?!! なぜムサシは私の事を待っててくれなかったの?!」との思いがいつまでも強く残りました。
そして、それは心の闇となり、怒りに変わっていきました。

そうなのです。 「あの時なんで彼女は、先生!最期かも知れないんでしょ!! ムサシ君に逢いに行ってあげて下さい。後は何とかなりますから!って言ってくれなかったの!? 私だったら絶対そう言ってあげるのに・・・。」と、そのスタッフへの怒りがふつふつと沸いてきて・・・その後しばらくの間、顔で笑ってはいても心の中ではその思いが消える事はありませんでした。

それから数か月経ち・・・ある日息子と車中でしゃべっているうちにある事に気づかされました。
ムサシの最期の話になった時に、私は彼にこう言われました。
「それは母さんが選んだんだらぁ~・・・。いくらその人がそう言ったって、院長なんだから帰る事も出来ただらぁ~・・・。」
・・・正直、はっとしました。

私は、「自分で選んだ人生のくせに、うまく行かなかった時に他人のせいにして逆恨みする人」を心から軽蔑していたのに、実は同じような事をしてたんですね・・・。

そうなのです! そのスタッフのせいじゃなかったのです。
その時に病院に残ることを選んだのは、この私だったのです。
息子の言う通り、その時重症の子はいなかったので、本当は強引に帰ろうと思ったら帰る事はできたのです。
それをしなかった私は、それが‶院長の責任”だと思っていたのか、逆に私の心の弱さなのか、はたまた “自分の心に従って生きていけていないせい”だったのか・・・。どれも当てはまるような気がします。

そして、息子にこうも言われました。
「ムサシは、みんなに死に際の顔を見せて辛い思いをさせたくないから、敢えてみんなが居ない時を選んで死んだんだよ。きっと・・・。」と・・・。(ううう・・・。)

因みにその息子とは、しょっちゅう親子喧嘩をしているので「教育法を間違えたかしら・・。」と思っていたところも多々ありました。(そう思うところが私のエゴも入ってますが・・・。)ですが、息子は息子なりに成長していたんですね。
「負うた子に教えられ」とは正にこの事です(苦笑)。

ムサシの事を思い出すと、私の涙腺のスイッチが押されて・・・今でも涙がこぼれます。
もう、ムサシの温かい身体に触れる事もなく、お灸をしてあげることもないのです。
でも、ムサシには沢山の愛をもらったし、今もムサシを近くに感じています。

不思議なことに、4年近くアニマルコミュニケーションとして、ご縁のある動物達と会話させて頂いているのですが、なぜかムサシに最期のことを聞くことが出来ないのです。
聞くのが怖いのかも知れませんね・・・。
時期が来たら、ローレン先生にお願いして、ムサシの思いを聞いてみたいと思います。

獣医ではありますが、やはり私も一飼い主でした。
ムサシを通して動物達の存在の大きさを再認識し、そして少し恥ずかしい話でしたが自分の思わぬ内面に気付き、こうして学ばせてもらいました。
最愛なるムサシと喧嘩相手の?!息子に感謝です。

ムサシ

術後ムサシがまだ元気な頃の写真です。
仕事の合間に自宅に帰ってお灸をすることもありました。
お灸に20分間くらい掛かったので、ガムやボール等を近くに置いて、あの手この手でお灸してました(笑)。

花

昨日の朝、突然永吉ちゃんのお母さんがお見えになり、「明日はムサシ君の命日ですもんね・・・。」と言って、このお花を下さいました。
感激して、ついまた涙が・・・でもその後、“永吉ちゃんリュック”を見せて頂いてあまりにも永吉ちゃんに似てたのでまたまた感激!惜しかったな~・・・。写真に収めるべきでした。

2014年 12月 12日掲載
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