院長コラム
梅が本格的に咲き出しましたね~・・・。
ケンがいなくなって、もうすぐ2週間になります。
大切な動物を亡くした方々の悲しみと同様・・・やはり私もケンを思い出しては時折涙が出ます。
ムサシの時もそうでしたが、「時間が薬」とは良く言ったもので、まだまだ時間は掛かるんだろうな~と思います。 ただ、少し救われるのは、集中すべき仕事があることと、リリーという犬が来てくれた事でしょうか・・・。それらがあるのでかなり気が紛れます。
ところで、ケンの思い出はいろいろありますが、7年ほど前にアニマルコミュニケーション(動物と会話)をされているローレン・マッコール先生が南知多にお見えになると聞いて、ケンの本音を知りたくて、先生が滞在なさっていたホテルを訪ねた事がありました。
ムサシは結構単純な性格で喜怒哀楽もはっきりしていて、当時の生活にそこそこ満足してるだろうと思ってました。
でも、「ケンはどうなんだろう・・・??何とな~く毎日楽しそうじゃないよな~・・・。」って思ってたんですね!
息子達が学校から帰るのは夕方。私は夜遅くまで仕事でしたので、とにかく夕方までずっと留守番だったんです。
それで「ケンは本当に我が家に来て幸せなんだろうか?!今の生活は楽しいんだろうか?!」とずっと思ってました。
っで、実際にローレン先生と会話をして頂いたところ・・・。
「ムサシはいいよね!だってムサシの役割(我が家の見張り番と病院で貧血のワンちゃんに血を提供する事)がちゃんとあるから・・。僕は毎日ツマンナイよ・・・。だってやることがないんだもん。僕にも僕の役割が欲しいよ!」とのこと。
そこでローレン先生のご提案で、「母さん(私)のいる病院で動物や飼い主さまを癒すってのはどう~!?」って事になりました。
それには、ケンも大賛成でした。
ところが・・・
翌日病院に連れてったところ、張り切ったケンは飼い主様には積極的に愛想を振りまくのですが、動物たちを見ると吠えてしまうので、「1日で退去!!」という結果になってしまいました。
だって、彼らはただでさえ怖い気持ちを抑えて待合室で待っているのに、病院でケンに吠えられたらたまったもんじゃないですからね~・・・。
ただ、今回のケンの発言で、もしかしたらケンだけではなくて、犬という動物は「自分の役割を持って、人に喜んでもらえる事を喜びとしている」ところがあるんじゃないかな~?!と思いましたね。
そんなことがあって6年経って、あるご縁から去年の10月と昨日、臨床とはかけ離れた二つのセミナーを受けることになりました。
そこで初めて自分のミッションを意識するようになったのですね。
っで、あることに気づきました。
私のミッションとケンのミッションは通じるものがあったんだな~って事!
私には2つのミッションがあります。
そのうちの一つは「動物も人も愛を必要としている事をみんなに伝えて行くこと。」
自分が育った環境、親との関係から学んだ事。その時は苦しかったしマイナスだと思っていた事も、今となってはその経験があるからこそ、このミッションを持つようになれたのですね!
ケンは本当は病院の癒し犬よりも、老人ホームや子供たちのいる所に行って、思いっきり愛を配ってくる事の方があってたんだと最近になってやっと分かりました。
その時は、そんな選択肢も思いつかなくて・・・ただ、開業当初からいつかは、‟人間大好きな動物たち”の力を借りて老人ホームや親に虐待された子供たちの施設を回ることが出来たらと、思ってはいました。
ケンのこの大きなミッションは、彼が死んだ今となっては私の勝手な思い込みもあるかも知れません。
ですが、彼は私達家族に大きな癒しをくれました。
ですので、今後彼のミッションを引き継いでくれる動物たちを探して、いつか必ず彼らの力を借りながら、「人も動物も愛が必要であること」を伝えて行き、親から愛を受け取ることの出来なかった子供たちが動物たちと接する中で 「あ~・・動物っていいもんだな~・・・。自分も家庭を持ったらいつか動物を飼って、動物たちと家族とで仲良く暮らしていきたいな~・・・。」と思って貰えたら、それが私の最大の喜びであります。
治療中に飼い主さまにもお声を掛けていますが、このコラムをお読みになって何かお力を貸して頂ける方がお見えになったらそんな有難いことはありません。(超人間大好きな子を飼ってらっしゃる方、子供たちのいる施設にお勤めの方など。)
よろしくお願いしますね(^^)!
今日も長いコラムにお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
インフルエンザが流行っているようです。 「罹ったかな~・・?!と思ったら、コンタック600」ならぬ「大椎にお灸」です。(ヤバッ!!年がばれたかも~・・・。。。)
昨日は私の誕生日でした。
そして奇しくも我が家の愛犬ケン(16歳半)の命日でもありました。
「ケンとの時間はあと僅かだろうなぁ・・。」と頭で分かってはいても、どこかでそれを否定したい気持ちがあったのと診察に没頭していたこともあり、昨夜7時半の夫からの電話に気づきましたが、そのまま診察をしていました。
少しして、二回めの電話があった時、「もしや・・?!」と思い直して出てみたところ、「もう本当に危ない。」との事・・・。
後片付けをしている看護師さんに事情を伝えて、ダッシュで帰りました。
道中、「ケン!ケン! 待っててよ!母さん今帰るからね! 絶対に死んじゃあダメだよ!!」と叫びながら、アクセルを吹かしていました。
家に着くと、ケンは真っ赤に目を腫らした長男に抱かれて、ぐったりしていました。
「遅かったか・・・。」と思いつつ脈を取ったらまだ脈はありましたが、本当に細くて弱い脈でした。そして長男は黙って私にケンを抱かせてくれました。
数分後・・・ケンは私達に看取られて、私の手の中で静かに息を引き取りました。
ケンは、今にも消えてしまいそうな命の灯を灯しながら、私の帰りを待っていてくれたのでした。
ところで私は、長い間、コラムに書こうとずっと温めていた話がありました。でも、書けない内容でもありました。
それは『多くの動物は、自分の死期が近づいて来ると、大好きな飼い主さまが逢いに来てくれるまで死なずにずっと待ってる!そして死ぬ時期を選んでいる!』という話でした。
なぜそう感じたかと言いますと、長い臨床経験の中で、そういう動物を沢山見て来たからでした。
「死期の近い末期癌のワンちゃんが、一番可愛がっていた遠方に嫁がれた娘さんが逢いに来られるまでずっと待っていて、顔を見た途端亡くなってしまったり・・。」「末期の腎不全の猫ちゃんが、点滴で入院して夜退院した後、ご夫婦2人が揃うのを待ってから、亡くなったり・・。」数え上げたら切りがないくらいそういう事って起きてたのですね・・・。ですので私は「動物たちの何とも表現できないこの力は凄い!!」とずっと思ってました。(他人は偶然だと笑うかも知れませんが・・・。)
ただ、それをコラムに載せるには一つの躊躇がありました。「どの飼い主さまだって大事な動物の死に目に逢いたい!って思ってるのに、逢いたくても逢えなかった人はどうなるの?!こんな事を載せたらその人傷つくよね!!」と思ったのですね。なのでそれを思えばこそず~っとコラムに書けませんでした。
そんな事を思いながら数年が経ち、ちょうど二年前、私がいない間にムサシ(シェパード、次男と私が主に面倒を見ていた病院の供血犬です。)は息を引き取ってしまいました。仕事を急いで終えて車を飛ばしましたが、間に合いませんでした。・・・動物の死に目に逢えなかった飼い主さまの事を考えているうちに、今度は自分が同じ経験をすることになったのですね・・・。
だからこそ、よけいに「何があってもケンの死に目には逢いたい。」と言う、変なこだわりがありました。
「ケンが待っててくれて嬉しかったけど、ムサシは何で待っててくれなかったんだろう・・。」「でも、死に目にあう、あわないなんて事よりどれだけこの子達が私達と一緒にいて幸せだったって感じるかってことの方か大事なのかも知れない・・・。」「あ~あ・・・家に帰ってもケンが迎えてくれないのは寂しいな~・・・。ケンが居るのが当たり前だったのに今日から居ないって思うと、ツマンナイな~・・・。」と悲しさと共にいろんな思いが頭の中を駆け巡って来ます・・・。
ある友人が、「感謝するって事は、当たり前の事に感謝するってことなんだよね!」と教えてくれたことがありました。
「そう・・・。当たり前の様に我が家に来て、当たり前の様に三人の子供達の隣にいて、当たり前の様に私達の帰りを待っててくれたケン。」
「私達家族は本当にあなたに癒されました。ケン、本当にありがとうね! 私達はケンの事が大好きだよ!ありがとう☆彡」
今日はいつも以上に取り留めのない話ですみませんでした。
ケンの事を心配して下さって、メールやメッセージを下さった皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m。
我が家のケン(ミニチュアダックス、16歳半)の命の灯の消える日が少しずつ近づいています。
ここ二週間くらい食欲も落ち、一旦寝ころぶと自力では起き上がれず、立たせても数歩歩けば転ぶ姿を見て、かなり衰弱しているのを感じでいました。
そして昨夜も「危ないかも知れない。」と夫から連絡が入りましたので、帰宅直後長男に手伝ってもらって、がっちり鍼灸を施したところ、寝る前には居間をとことこと歩きだしたので、安心して休みました。
ところが、今朝は微動だにしなくなり・・・意識も遠のいてました。
それで 「ケン!ケン・・・!起きて!!」と叫びながら、ぽろぽろ涙を流してましたら、ケンがありったけの力を振り絞って、立ち上がりました。
これには、本当にびっくりしました。 もうろうとした意識の中でもちゃんとケンには私の声が届いていたのですね・・・。
そして、今日仕事を終えて帰宅すると、またぐったりしていて・・・ケンは正に”ろうそくの火が強くなったり弱くなって消えそうになったり・・・”の繰り返しです。
でも、流動食は受け入れてくれるので、飲み薬や点滴など負担のかかる治療は止めて、鍼灸をしながらケンを看ています。
離れた所に住んでいる次男も三男も今回ばかりは心配していて、マメにラインをくれます。
昨夜は長男から「覚悟しといた方がいいぞ。」というラインを受け取った次男が 「我が家に来てくれてありがとう!ってケンに伝えてほしい。」 と殊勝な事を言ってきました(涙)。
ここ数日、ケンを看ながらいろんな事を考えます。
大事な動物の死期が近づいてきた飼い主さまたちと自分の姿がだぶったり・・・。
ムサシが亡くなった時の事を思い出したり・・・。
「ムサシを含めて、今まで可愛がっていた動物たちの死に目に逢えなくて辛かった!」とずっと思ってたけど、亡くなる子を手の中でずっと見守るのもそれはそれで辛いだろうな~・・・。」と思ったり・・・。
ところで、ケンは16年前に子供たちがまだ小さくて手の掛かる時に我が家に来たのでした。
子供たちを保育園や小学校に送り出した後、私は朝から夜遅くまで仕事三昧・・・。
ですので、ケンはムサシが来るまでの7年間、ずっと一人でお留守番をしてました。
それでも、毎晩「ただいま~!」って帰ると、みんなの事を喜んで迎えてくれて・・・。 いつも私達家族と一緒にいてくれて・・・。
でも実はず~っと前から私はある事を考えてたんですね~。
「もっと長い時間家にいることが出来て、ケンの事をゆっくり抱っこしてあげられるお母さんがいる家にケンが来たら、ケンは今よりもっと幸せだったんじゃないかなぁ~。」と・・・。
とは言え、ご縁があって我が家に来てくれたんだし、時間は取り戻せないので、数年前からは息子たちには合言葉のように言ってました。 「ケンがうちに来て幸せだったな~!って死ぬ時に思ってくれるように、ケンを大事にしようね!」って。
ケンは今、「我が家に来て良かった!」って心から思ってくれてるんでしょうか・・・?!
それはケンに聞いてみないと分からないことですね・・・。(仕事でアニマルコミュニケーションをしていても自分の犬にはブロックが掛かってしまって、私は聞くことが出来ないのですね・・・。)
我が家の大事な四男のケンがいつまで生きてくれるか分かりませんが、彼の命の尽きるまで、家族と見守っていきたいと思います。
お寒くなりました。
皆さまも動物さんたちもお風邪など召されませんよう、ご自愛くださいね☆彡
先日、私は大阪に用事がありましたので、その後堺市で鍼灸院をしてらっしゃる国分龍彦先生の所に行って参りました。
国分先生は、鍼灸院をされる傍ら香港聯合(ほんこんれんごう)中医薬学院の教授であり、私が3年間通った獣医中医薬学院の最高顧問でもあり、温雪楓(おんせっぷう)先生の教えを継承する勉強会(師温会)の会長もお勤めになられてます。 私の様な者からすると、国分先生は言わば「雲のそのまた上の存在」の方になります。
帰り際、国分先生が 「工藤先生、せっかくここまで来たんだから、戎神社(えびすじんじゃ)に行かれるといいですよ!」と言って下さいました。
よくよくお尋ねしてみると、午前の治療が終わり次第、国分先生も行かれるとの事でしたので、「それじゃあ私もお伴させて下さい!!」ということになり、先生の治療が終わるまで、適当に時間をつぶしてお待ちしてました。 ちょっと?強引にお願いした感じでしたが・・・(苦笑)
戎神社に着くやいなや、お参り道はいろんな出店がいっぱいで、それを見ながら歩いているだけで「氣」が上がるのを感じました。何て表現したらいいんでしょう~・・・そう、そのエネルギーを受けるうちに私の内側のエネルギーも湧き上がって来る!っていう感じですかね~。 楽しいと頬も緩み、いろんな心配事も消えてなくなるもんなんですね。
そんな私をご覧になりながら、国分先生が「工藤先生、楽しいこともせなあかんですよ。人生ケセラ・セラだからね!」とおっしゃいました。
「ホント・・・そうですね~・・・。」と私。
神社の境内に入ると、お祭りの時によく聴く、あの「チャカチャカチャカ・・・」の音と共に、「まんが日本昔ばなし」に出てくる市原悦子さん風の声で『商売繁盛、笹持ってこ~い!』という音声がずっと流れてました。 みるみるうちに人が増えてきましたので、とにかくはぐれない様に国分先生にくっついて歩き、お賽銭箱にお金を放り投げてから、宮司様から笹を頂き、その後巫女さんにお札と升を付けて頂きました。(升は益々繁盛しますように!という意味があるそうです。)
少し出店をあるいたところに屋台がありましたので、国分先生からお酒と焼き鳥をご馳走になりました。(11月からずっと断酒してますが、こういう時は頂くことにしています。)
お正月の屋台だったからでしょうか?!頂いたお酒と焼き鳥は格別の味がしましたね~!
この正月は初詣にも行きませんでしたので、予想外の戎神社への参拝と国分先生との新年会?で、私は新年早々かなり得をしたと思います!・・・「神様、ありがとうございます!」って感じでした(^^)。
その後国分先生が毎年お買いになっている「焼き銀杏」のお店を一緒に探したのですが、いくら探しても見つかりませんでした。
でも、お店が見つからなのかったお陰で、探している間中ずっと国分先生のご経験談や人生観などをお聞きする事ができ、先生の優しいお人柄にも触れ、何にも代えがたい貴重な時間を過ごすことが出来ました。
国分先生~、この度はありがとうございました(^^)! 癖になりそうなので、今年の笹とお札と五円を持って、来年もお邪魔するかも知れません。その時はどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m。
この度、国分先生にお逢いして、「1頭でも2頭でも多く、鍼灸等で元気になってもらって、患者さんと飼い主様の笑顔が見れるように心新たに顔晴ろう!!」と思いました。
そう・・・私が臨床をしている限り、いつまでも成長しなきゃ!なんですね~!
長いコラムになりました。 最後までお読み下さいましてありがとうございました。今年も皆様にとって素敵な一年になりますように~☆彡
内尾先生のご著書(オーラが輝く魔法の言葉)には、「何があってもありがとう」と書いてあります。
以下はその本の抜粋です。
世の中の人たちは、感動の氣持ちを表すときや、自分が得したことがあると「ありがとう」と言いますが、本当は何があっても 「ありがとう」なのです。 「ありがとう」という文字は、「有り難う」つまり「有る」ことが「難」しいと書きます。
しかし、「難」と「有」を使って「難があっても、有り難う」と読むこともできますね。 自分がピンチを迎えたときに「難が有っても、ありがとう」と思う氣持ちになると、氣分が落ち着いてきます。・・・中略・・・「難があっても有り難う」は「何があっても有り難う」につながります。そしてこの「何があっても有り難い」を続けていくと、ムダがなくなっていきます。 また「何があっても有り難い」に行きつく先は、「自分に有り難う」「自分の人生に有り難う」になります。そう考えることができるようになると、不平不満そのものが消えてなくなります。
「ふ~~ん・・・。」と納得しながら読んでましたら、ある日事件が起きました。
ここでは具体的な事は書きませんが、その方々の言動を見て、不快感も少し感じましたが、それ以上に「は~ん・・。世間にはこういう人達もいるんだぁ~・・。」という驚きに近いものを感じました。 と同時に「そうやって考えると、私の周りにはなんて温かい人ばかりなんだろう~。」という事を改めて実感したんですね~。
そこで内尾先生のこの言葉を思い出したのです。
「本当に何があっても有り難うだな~・・。」と。
『何があっても有り難う』・・「嫌な思いをしたらその人にありがとう。 同じ思いを他人にさせないように気をつけるきっかけになりました。 そして素敵な人に恵まれていることにも改めて感謝する事が出来ました。そういう風に感じることが出来るようになった自分にもありがとう。そしてこの事を教えて下さった内尾先生にもありがとう。」です。
ところで、その事件の前にお会いした鍼灸師さんと獣医さんが同じことをおっしゃってました。
「同業者には腕はあっても自意識過剰で高慢な人が多い!」とのこと。
その時に「え~?!私の周りにはそういう人、全くいないですよ!」とお伝えしたら、二人とも納得できないような顔をしてみえました。
そうなんです!「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」じゃないですが、去年まで通っていた獣医中医薬学院の先生方も鍼灸の勉強会の先生方も、そして遠隔治療の勉強会でお逢いする鍼灸師・接骨院の先生・医師の先生方も素晴らしい治療をしてらっしゃいますが、そんな方は一人もいらっしゃらないんですね。
そんな話になった後で、内尾先生のご著書を読み、そしてその事件が起きたのでした。
生きていればプラスの事もマイナスの事もあるわけで・・・でも一見マイナスの事の様に思えても、その中には反省や新たな学びがあったりして・・・そうやって人は死ぬまで成長しつづけるものなんですね。
だから、あらゆる事に感謝なんですね。こうしてこの長いコラムを読んで下さっている方々にも感謝です。
今日もありがとうございました(^^)。
皆さま、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
いろいろな所に出掛けて、いろいろな方からお話をお伺いすると、その度に考えさせられる事が多く、自分の世界観も変わります。
「このことにもっと早く気づいてれば、私の人生ももっといいものになってただろうになぁ~・・・。」と思うこともありましたが、いろいろあったからこそ気づくこともあるわけですし、「人間の成長に遅すぎるって事はない!」と思います。
もともと完成された人なんていないですし、未完成だからこそいろいろ学ぶ為に生かされているのかも知れませんよね。
だから「人間、死ぬまで成長!」なんですよね!
生きていれば誰にでもいろいろな事があるように、私にもいろいろな事がありました。何年もの間「一生懸命生きてるつもりなのに、なんでこんな事になっちゃうんだろう・・・。」というやり切れない気持ちと怒りの感情の持っていき場がなくて、そのストレスが全部自分の身体に来てしまってました。
肝と腎が傷んでたのですね。(東洋医学的に言うと肝は怒りの臓器になります。腎の弱さは元々の私の証です。これに関しては後々よもやま話でお話しますね。)
去年の秋、遠隔治療のご縁で内尾政明先生にお逢いした時、「工藤さんは、長い間の怒りが肝に来てますね。」と突然言われて、びっくりしました。 その後、内尾先生のご著書(オーラが輝く魔法の言葉)を拝読して、更に「目から鱗」になりました。
内尾先生から話は飛びますが、二年前にも不思議で素敵な出逢いがありました。
私がやっている遠隔治療(宝石光線療法)の宝石の数を増やしたいと思っていた矢先に、ある方から林佐帆子さんという石と対話のできる方をご紹介して頂いたのですね。
その方のセッションを受けた時「酷いことをされたら、まず自分の怒りの感情を見つめて受け入れ、その怒る自分を許そうね。そしてその後その人に‟無条件の愛”を送りなさい。毎日だよ!心は込めなくていいから形だけでいいからやってみて! そうしたら必ずいろんなことが変わってくるから。」と言われました。
実は6年前から私は毎朝うちの病院に来られる動物たちと飼い主様、スタッフ、お世話になっている方々、家族、そして自分自身に‟無条件の愛”を送っていました。
佐帆子さんに言われた事に対して抵抗があった事は否めませんが、一先ず言われた通りその方々にも‟無条件の愛”を毎日送ってみました。
すると・・・不思議なことに周りが少しずつ変わり始めました。 思わぬ方々から助けて頂いたり、「逢いたいな~」と思ってた人に出逢えたり、諦めていたセミナーに出ることができたり・・・運がどんどん良くなるのを感じたんですね・・・。
その後秋にお逢いしたのが内尾先生でした。
やっとここで内尾先生のお話になりますね!
ちょっと長くなりましたので、続きはその②でお話しますね!
寒かったり暖かかったりの繰り返しですが、皆さま体調を崩されませんようご自愛くださいませ。
この7月で17歳になる我が家のケンは少し心配な状況になりましたが、鍼灸治療で一旦復活しました。
新しく来たリリーちゃんも元気です!
それではご機嫌よう~!(^^)/。
同業者の方なら私と同じことをお感じになったことがあると思いますが、一度人間に捨てられて傷ついた動物達が、その後優しい飼い主様に愛情いっぱいで育てられると、彼らの顔つきはどんどん変わっていきます。
飼い主放棄されて動物保護管理センターに連れていかれて、そこでやっと新しい飼い主さまの所に来た時、新しい飼い主さまがその子を健康診断の為に当院にお連れになることがあるんですね。その時は、体中から‟不安いっぱいオーラ”を出しているのですが、数か月~一年経ってワクチンで来院された時は、どの子も雰囲気がかなり変わっています。
きっと「飼い主さまに愛されてる!自分は必要とされている!」っていう安心感から心がほかほか状態になるんでしょうね・・・。 以前より明るい表情になり、自信に満ちた顔になります。
動物は人間の言葉をある程度理解できても、その言葉を話すことが出来ません。
ですが、「今、どういう状態なのか?!」「この子は飼い主さまから可愛がってもらってるのか?!」って事は、顔を見れば大体分かりますよね!
それは人間も同じなんでしょうね・・・。
‟とにかく愛の力はすごい!”と思います。
私はこの仕事を通して多くの患者動物や飼い主様から「人も動物も愛が必要である」事を学ばせて頂きました。
人が動物や人を虐待したり殺したりして、耳を塞ぎたくなるようなニュースが流れている昨今、飼い主さまの話をお伺いしていると、ホッとしたり頭が下がったりします。
そして私達が動物達に愛情を注いでいるだけでなく、逆に彼らからも多くのものを私達はもらってもいるんですね。
ある方は「この子がいてくれるから、お姑さんと嫌なことがあっても我慢できるんだよね~。ホントお散歩の時間が私の癒しの時間なんだよね・・・。」とおっしゃってました。いちいち言葉にはしませんが、誰もがいろんな問題を抱えながら生きていて・・・でもその方を癒すのに動物達が一役かってる事ってあるんですね。
また先日鍼灸治療でお見えになった李さんは、長年犬の里親探しのボランティア団体のお手伝いをしてらして、新しい里親が見つかるまでの間、ワンちゃんを預かってらっしゃるとの事・・・「李さん、お忙しいのに偉いですね!」と言いましたら「ううん~・・。私はワンちゃん達にいっぱい貰ったから、ただ、恩返しをしてるだけだよ!」と仰ってました。(おそらくいっぱいもらったのは、‟愛”なんでしょうね・・・。)
余談ですが、なんとぉ・・・。その中の一頭が近々我が家に来ることになりました!(笑)
これからも、人と人、人と動物が愛のエネルギーをいっぱい交換して、より充実した素敵な人生、犬生(猫生、兎生、鳥生etc・・)を送っていけるといいですね~(^^)!
先日、Facebookで繋がっている鍼灸学院時代の同級生・星野先生の投稿(シェア)を見て共感して私もその投稿をシェアしました。
「NPO法人FUKUSHIMAいのちの水」という東北大震災直後に立ち上げられた団体が、「福島の子供たちが4年経った今でも放射能に怯えている現状」をアメリカに伝えに行ったところ、アメリカの団体から「シリア難民支援」の要請をされたとのことでした。
「FUKUSHIMAいのちの水」のHPで代表の方が「我も彼も助けねばなりません。ギリシャの海に溺れた幼児の映像が世界に流れました。
もう、やめなければなりません。子供を死なせないようにしましょう。奪うことをやめて、与える文化を作ってゆきましょう。
子供達に冬を越す衣服を。乳児にミルクを与えましょう。それが当たり前なことですから。
国が出来ない時には、市民が市民を助けるのです。母親が母親を助けるのです。どうぞ、力を貸してください。」とおっしゃってました。
お恥ずかしいことに、その投稿をシェアしたのは良いけれど、日々の生活に追われいて、すっかりこの事を忘れてました!
こないだの日曜日、お酒と甘いものを断った私はガブガブサイズになった服を整理していくうちに「あれ~?!もしかして今からでも間に合うかも?!」と思い起こして、長年タンスの肥やしになっていた毛糸の帽子やマフラーを取り出して、箱に詰めて送りました。
「シリアの方々がこの帽子をかぶって少しでも寒さをしのいでくれたら嬉しいな~・・・。」と思います(^^)。
そんな話を友達にしたら、「ゆりちゃんは偉いね~。」と言われました。でも全然偉い事なんかしてるんじゃないんですよね。
東北大震災だってそう・・。たまたま東北で起こっただけで、どこであの大震災が起きても不思議じゃない。今こうして当たり前の様に自分の家で暮らしてますが、もしここ愛知で起きてたら、私も被災者だったでしょうし、今も仮設住宅に住んでいたかも知れません。
だからシリアの事もおんなじでなんです。もしかしたら私はシリアに生まれていて、子供にひもじい思いをさせて辛い想いをしている母親の一人だったかも知れない・・そう思うと出来ることをしたいな~って思うんですね。・・・な~んて、日曜日まですっかり忘れてた私がこんな事を言うのもおこがましいところもありますが・・・。
世界中の人みんなが戦争もテロもない、飢えも偏見もない・・・心から笑顔で過ごせる・・・そういう日が来ることを願って止みません。
私は、人とお話していて、「この方はこういうところが素敵だな~!」と思うと、素直にそのことを口に出すことがあります。
そうすると、大概の方は、「いいえ・・・。私はとてもそんなんじゃありません!」と少し否定的におっしゃいます。
それは一見謙虚っぽく見えますし、日本人同士はそいう風に言っといた方が無難なので、それが癖になっているところもあるかも知れません。
でもよく観察してみると本来の謙虚さとは違い、その言葉の根底には「こんな自分は好きじゃない!こんな自分なんか愛せない!」というものがあるように思うのですね。
傍から見ると、「こんなに素敵な方なのに、なんでそんなに自己否定されるんだろう??」と思うんですけどね・・・。
っで、なんでそうなっちゃうのかな~?!って考えると、幼少の頃から「あなたは今のあなたのままでいいのよ。大好きだよ!」という‟無条件の愛”を親から受けられなかったことにあるのではないかって思うんですね。
口に出さずとも、「ここまでの成績を取ったら(私の期待に応えることが出来たら)、お母さんの子供として認めてあげる。」的なところが育てる親の方にあったりして、それをずっと植え付けられて育ってしまったので、「このままの私じゃあダメ!もっともっと頑張んなきゃ!」という自己否定的なところが出来てしまうんだと思います。
でも、動物と私達ってどうでしょう~?!
私たちは、ケンやクッキーやモコちゃん、はなちゃんに、「こうしないとあなたはうちの子って認めないわよ!!」なんて言いやしませんよね!?
そしてこの子達も、「こうしてくれないと私はあなたの家族(犬・猫・ウサギ等)にはなってあげません!」なんて事言わずに無条件で私たちのことを愛してくれますよね!
そうやって考えると、動物の方が人間よりもずっとピュアであり、逆に動物から学ぶことって結構あるように思うんですね。
彼らは「傍にいてくれるだけでいい!」「元気で生きててくれればそれでいい!」「いつもありがとう~!」っていう気持ちにさせてくれますもんね。
だから、そういう風に目の前のお子さんの事も‟無条件で”愛してあげて下さい。
そうすることによって、あなたのワンちゃん猫ちゃん達が元気でいてくれるように、お子さん達もきっと元気でそして自分の事を大好きでいられる(自己肯定的な)素敵な大人になるはずですから・・・。
開業して21年になりますが、この仕事を通じて学ばせてもらったことがいくつかあります。
その中の一つは、動物たちが私達と暮らしている間に、ある一つの「愛のエネルギーのようなものを私達と交換してるのではないか!?」って事です。もちろんそれは普段意識してないだけで、人と人の間でも交わされていることでしょうし、動物たちと一緒に暮らしている人や動物に関わる仕事をしている人の多くはそういう事を感じているのではないかと思います。
5年ほど前に、私に「アニマルコミュニケーションをしたらどう?!」と勧めてくれた友人がいました。
それでその後ローレン先生に師事して今があるのですが、その後その友人の勧めもあって、チェコ人のヒーラーの方の個人セッションを受ける機会に恵まれました。
能力の差こそあれ、世界中に「第三の眼」が開眼してる人は数多くいると思いますが、そのセッションを受けてその方は相当能力の高い方だと思いました。
なぜなら、彼は私の顔を見るなり、私の生い立ちからその時の状況までどんどん言い当てましたので・・・。
その方曰く「あなたは小さい頃から両親の愛を受けることが出来ずにずっと淋しい想いをして来た。なのでいつも犬と愛のエネルギーの交換をして来たのだ。だからあなたは今の仕事をしているのだ。」との事でした。
私の父は私が幼少の頃から産業動物(乳牛)の獣医でした。とにかく当時は食べることだけで精一杯でしたし、ものごころついた時も仕事をする父中心の家でしたので他人の出入りも多く、家庭的な雰囲気は全くありませんでした。
ただ、当時は小動物の動物病院が少なかったので、父が往診に行くと酪農家さんに「ついでにうちの犬も診てくれんかねぇ~?!」と言われるので、病気の犬を父が連れて帰って来ることがよくありました。そして気がつくと「まぁ、そのまま飼ってくれや!」と言われて我が家の犬になることも結構ありました(笑)。
ですので、私自身ものすごく犬にハマってるという自覚はありませんでしたが、4才の頃毎日保育園に送ってくれる大きな犬がいたり(あの頃は放し飼いでしたのでそれが出来ました。)その後も今日に至るまでずっと犬達と共に過ごしてきたのですね。